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[オピニオン]「羊たちのしょく罪」

Posted December. 07, 2003 23:26,   

今年も、残すところ、あとわずかとなってきた。今年のニュースに取り上げられた人物の中には、ひときわ羊たちが目立った。

ごく最近の羊は「私がしょく罪の羊となったため、怒りが収まったのなら、政界も和解に応じて、国のために働いてほしい」と言い残して、ソウル拘置所に拘束収監された姜錦遠(カン・グムウォン)釜山チャンシン繊維会長である。11月には財界が、10月には大統領選当時政党の資金を管理した事務総長と、その輸送に関わった者が、不正政治資金事件のしょく罪の羊として、マスコミに取り上げられた。崔導術(チェ・ドスル)前大統領総務秘書官は「私をスケープゴートにしようとしている」と述べており、KBSは、ドイツ在住の学者、宋斗律(ソン・ドゥユル)教授を、冷戦時代のスケープゴートに見立てた番組を放送した。386(30代、80年代に大学時代を送った人たち、1960年代生まれの略称)世代の実勢である「右に李光宰(イ・グァンジェ、前大統領秘書室国政状況室長)、左に安熙正(アン・ヒジョン、前新千年民主党国家戦略研究所副所長)は、大統領府に対する不満のスケープゴートとして、鄭夢憲(チョン・モンホン)前現代牙山会長は、対北朝鮮政策のしょく罪の羊として、それぞれ舞台から消えて行った。

◆人の非に代って罪滅ぼしをするという意味の「しょく罪の羊」は、元来「ヤギを逃がしていた(escape goat)」ユダヤ人たちの風習から始まった。16世紀、旧約聖書の翻訳家だったウィリアム・ティンデイルは、旧約時代のユダヤ人たちが、最初のヤギを神に捧げ、二番目のヤギには人間の罪を担がせて砂漠に逃がす儀式を行っていたと語った。砂漠に逃げ延びたヤギは、飢え死にしたはずだ。そのヤギとともに、自分たちの罪もなくなると、当時のユダヤ人たちは信じていた。

◆動物の血が、呪術的な効果を持っていると信じるのは、遊牧民だけでなく、農耕社会の人々も同様だった。この頃は、地下鉄の中で席を譲るといった小さな善行にもつけられる「犠牲」ということばは、本来、動物と品物を神霊に捧げる宗教的行為から由来したことばである。インドチャイナの火田民たちは、動物の血が作物の増殖をもたらすと信じており、フランスの社会学者デュルケームは、神聖なものの提供を犠牲の本質的な要素として挙げている。しょく罪の羊と犠牲の共通点は、対象物の聖化である。そのためには、供え物が清いものでなければならない。罪多き羊は、他人の罪に代わることはできない。

◆今の世の中には、自称、他称の羊があまりにも多すぎるために、しょく罪の羊と罪を犯した羊を見分けるのが難しくなった。よく考えてみれば、わが国で政治ほどたくさんの羊が「犠牲」になった祭壇もないようだ。あれほどたくさんの羊が血を流しているのに、政治が変わらないのをみると、どうもしょく罪の羊の品質に問題があるようだ。検察でも足りず、特別検事体制が、まもなく稼動するということだ。特別検事が「しょく罪の羊」と「しょく罪しなければならない羊」を厳正に分けてもらいたいものだ。この際、マスコミも「スケープゴート」という表現を使い分けてもらいたい。比喩もやりすぎると、真実と錯覚されるものだから。

朴ソンヒ・客員論説委員(梨花女子大学教授、言論学)shpark1@ewha.ac.kr