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[オピニオン] 松岳500年、北岳500年

Posted August. 15, 2003 22:55,   

光復節(日本の植民地支配から解放された記念日)の朝、仁王山(インワンサン)の頂上に登ると、高麗(コリョ)と朝鮮(チョウソン)王朝の鎭山(国や首都の大きい山)である開城(ケソン)の松嶽山(ソンアクサン)とソウルの北漢山(プクハンサン)が一目で見渡せる。数年前に開城に行って来た文人たちは、北漢山が「手に取るように」視野に入るのを見て驚いたという。この朝、松嶽山の裾にも、南方の北漢山と仁王山を眺めながら「未完の光復」を切なく思う同胞がいるのだろうと思うと胸が痛む。

◆野史の一こま。高麗王朝誕生の精神的な支えであり、風水地理の大家だった僧侶の道詵(トソン)が全国を回って松岳にいたり、一帯に王気が立ちこめられていて将来都になる大明堂であることを見抜いた。道詵は王健(ワンゴン)の父親王隆(ワンユン)に会って、新しい王朝の出現を暗示した。王隆は非常に喜びながら「新しい王朝はどれくらい続くのか」と質問した。道詵が「千年は続くことができる…」と言った瞬間、松嶽山の前にこれ見よがしに聳え立つ北漢山の姿が入ってきて、彼は慌てて「いいえ。漢山(北漢山の旧名)に遮られて500年続く」と話したという。実際、高麗は474年で滅び、漢陽(ハンヤン)に都を移さなければならなかった。

◆朝鮮を建国した李成桂(イ・ソンゲ)が最初新しい都に考えていた所は渓竜山(ケリョンサン)一帯だった。実地踏査のためにそこへ行った無学(ムハク)大師が同山を見て、金鶏抱卵形であり、飛竜天形と言ったことから始まった名前だ。新都内(シンドアン)は新しい都という意味だ。しかし都は中央になければならないという官僚たちの提案と王の夢に山神が現われて、土一握りも触るなと言ったということが出まわり、およそ1年で工事が中断された。今も新都内一帯には王宮の工事を行った跡の度量と礎が100個余りも残っている。無学大師が今の往十里(ワンシムリ)に至って都を決めようとしたが、ある農夫に「ここからもう十里行きなさい」という言葉を聞いて、北岳(プガク)の下に朝鮮王朝の正宮である景福宮(キョンボククン)を建てるようになったという話は広く知られている。1392年開城で創建した朝鮮王朝は1394年漢陽に都を移しており、518年後の1910年、庚戌国恥(日韓合併)で滅びた。

◆日本の植民地から解放されて58年が過ぎた03年8月15日。保守と進歩が分かれてソウル市内の真ん中で集会を開いて声を高めているのを見守りながら、愛国先烈が血の汗を流して築き上げた私たちの祖国、大韓民国が愛国歌の一句節のように「永遠に」持続することを祈る。

呉明哲(オ・ミョンチョル)論説委員 oscar@donga.com