Go to contents

[オピニオン]30年ぶりの帰郷

Posted July. 24, 2003 22:13,   

韓国が生んだ世界的な作曲家である故尹伊桑(ユン・イサン)氏は、慶南統営(キョンナム・トンヨン)出身で、統営近海のイワシ獲り漁船が唄う船歌が彼の音楽を育てた。東ベルリンのスパイ事件の際に、中央情報部(国家情報院の前身)の要員によって強制帰国させられた李氏は故国で懲役に科せられ、ドイツに戻ってからは北朝鮮寄りになり、統営の海を再び見ることなくこの世を去った。韓国の音楽家が推進していた尹氏の帰郷は幾度も不発となった。帰国の話が出るたびに、尹氏の家を訪ねて行った記者に統営出身のチョン・ジョンシク(元連合通信社長)氏もいた。

◆チョン氏は尹氏の家を初めて訪問した時、姉から送られた統営イワシ一袋を持っていった。チョン氏の姉は尹氏が統営女子高校で音楽教師をしていたころの弟子だった。チョン氏がイワシ一袋を差し出して、「故郷の海で獲ったイワシだ」と説明すると、尹氏は喉をつまらせ一時言葉を失っていたという。カラスも故郷のカラスは懐かしいという言葉があるが、故郷に帰れなかった尹氏にとっては、故郷のイワシが非常に懐かしかったようだ。1994年尹氏は帰国直前のところまでいったが、当局が「反省文」のような覚書を要求したために、結局故郷を訪れることなく翌年この世を去った。

◆統営は「韓国のシドニー」と呼ばれるほど風景が美しい。多島海(タドヘ)をなす藍色の海は魚が見えるほど澄んでいる。その南の統営から悲喜こもごもの話が聞かれる。1973年に北朝鮮に拉致された漁夫キム・ビョンド氏が30年ぶりに故郷の統営に帰ってきた話には鼻の先がジンと来るエピソードがある。海は昔のままだったが、故郷の村と家族は彼が連れさられた時のままではなかった。生後100日目に生き別れた娘は二人の子供の母親となって、父親に抱きついて涙を流した。歓迎する家族と親戚の中には妻の姿は見えなかった。30年はひたすら夫の帰りを待つにはあまりにも長い歳月だった。妻は再婚し、病死していた。

◆国土が南北に分断されて、故郷に帰れない失郷民がいまだに南北双方で約数百万人生存している。分断50年を超えて、故郷に帰れないことがハン(恨)になったままこの世を去る人が次第に増えている。英国作家のトーマス・ハーディーが書いた「帰郷」という小説もあるが、帰郷のように詩、小説、映画、歌詞によく出てくる素材も珍しい。韓国の離散家族はすべて小説や映画にしてもいいほど多くの逸話を持っている。北朝鮮は今もごくまれに離散家族の再会を行い、それを恩に着せている。再会とはいえ、「会ってすぐ別れる」のだから切なさばかりが積もる。南北間の言葉の交流、人の交流が開かれ、失郷民の帰郷が実現できる日が早く来ることを願う。

黄鎬澤(ファン・ホテク)論説委員 hthwang@donga.com