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「北朝鮮は援助では変わらない」 米紙が分析報道

「北朝鮮は援助では変わらない」 米紙が分析報道

Posted July. 11, 2003 21:57,   

援助をすれば、北朝鮮は変わるだろうか。過去、北朝鮮とソ連及び東欧国家の関係を分析した結果、「ノー」という結論が出た。

このような結論は、北朝鮮の核問題解決に向けて、核廃棄と経済支援ならびに安全保障を交換するアプローチ方式に疑問を提起するものであり、関心を引くものだ。

米紙クリスチャン・サイエンス・モニターは10日、米国のウッドロー・ウィルソンセンターが各国の学者で構成した研究チームに依頼して実施した研究結果を根拠に、このように報じた。

同紙は、研究チームが、過去共産圏国家の機密文書や資料を分析した結果、北朝鮮はソ連が崩壊した後に途絶えた援助を、米国、韓国、日本などの敵対国から取りつけるために、ソ連と中国を相手にしたのと類似のゲームをしていると指摘した。

同紙は、北朝鮮は常に援助を得るために高度の手腕を発揮し、中国とロシアは北朝鮮に数十年の間、大規模な援助をしたものの、影響力に限界があったことを示す事例を提示した。以下はモニターが報じた主要事例。

ソ連は、北朝鮮に約60の工場を建て、かなりの兵器と原油、穀物を供給した。東ドイツを含む他の国家も、北朝鮮に工場を建て人々を訓練し、高官を治療した。

しかし北朝鮮は、全面的に外部支援に依存し、80年代になっても衣類も十分に生産することができなかった。

北朝鮮は、北朝鮮に住むソ連と東欧の人々を組織的に苦しめたが、ソ連は堪え外交政策目標に対する北朝鮮の露骨な反対も黙認した。

むしろソ連は、北朝鮮が共産圏の主導権をめぐって競争する中国に加勢できないようにするために譲歩し、北朝鮮は金日成(キム・イルソン)の行動を統制して影響力を行使しようとするソ連と中国の努力の多くを挫折させた。

北朝鮮とソ連の関係は1955年、北朝鮮が農業集団化過程で、穀物の収穫量の半分を強制的に収穫できないようにして悪化した。予想どおり飢きんが発生するや、金日成はソ連に懇請して食糧の支援を受けたが、一時的で皮相的な改革で数年後には元に戻った。

ソ連は、韓国に攻撃的な行動をすれば支持しないとしたが、北朝鮮は68年に、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の暗殺をはかった。北朝鮮は、73年に米国のニクソン大統領の中国訪問をきっかけに、中国の圧力で韓国との直接対話に乗り出したが、結局は敵対政策に舞い戻った。

94年に北朝鮮は中国の仲裁と支援で、米朝枠組み合意に調印したものの、核兵器計画を継続して進めたことで、中国の影響力も一時的なものだったという事実が立証されたばかりだ。



maypole@donga.com