Go to contents

[オピニオン]文化とカネ

Posted June. 26, 2003 22:05,   

世宗(セジョン)文化会館の滑り出しは華やかだった。レナード・バンスタインとニューヨークフィル、ユージン・オーマンディとフィラデルフィアオーケストラ、英国のロイヤルバレーなど、きら星のような団体が1978年の開館祝賀公演に参加した。伝説的な指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンも、ベルリンフィルとともに後日、この舞台に立っている。米国のリンカーンセンターのような世界的な劇場を持っているという誇りを持つことができた。世宗文化会館の独占的な位置が揺らいだのは、芸術の殿堂ができた時からだ。潜在的な観客の多い江南(カンナム)地域に位置する公演会場の方が、地理的な条件から見て有利だった。しかし、世宗文化会館の衰退には、ソウル市の官僚主義的経営という「内なる敵」も大きく影響している。

◆世宗文化会館の館長のポストは「区長の控え室」と呼ばれた。民選の区長が誕生する前、ソウル市の区長人事に漏れた官僚たちが、しばし立ち寄って行くポストだったからだ。施設だけが東洋最大を誇るだけで、劇場の経営能力はなかったのだ。代案として示されたのが財団法人化だった。専門家に経営を委ねてみようという意図だった。財団法人が発足したのが1999年7月1日のこと。それから満4年になる。時期を同じくして、国立劇場も自主経営を全面に打ち出した、責任運営機関に変わった。文化発展のために営まれる「公共の劇場」を民営化したのは画期的な事件だった。

◆それを機に、文化をカネと市場論理に委ねることが妥当かをめぐり、熱い論争が繰り広げられた。公共の劇場が利潤の追求にこだわるようになれば、国の芸術水準の向上といった、長期的かつ公益的な機能が縮小してしまうという反対意見が強かった。だからといって「税金食いのカバ」を、放っておくわけにはいかなかった。ところが、世宗文化会館が財団法人になってからの変化は、劇場の至る所に食堂や売店が目立つということだけだ。上質の文化を披露する劇場であれば、文化的な雰囲気を守ることが大事であって、賃貸収入にあくせくするというのは、むしろ観客を追い出す結果を招くものだ。このような民営化は、支持されない。

◆最近、世宗文化会館の運営方式に批判が集中している。来年の財政自立度の目標値を32.4%、2005年は42.6%にするというのだ。こうなると、劇場の運営は公共性と収益性のうち、収益性の方に急激に偏ることになる。外国でも20%を超えていない状態だ。文化的象徴であり、国民の愛情を一身に受けている海外有数の劇場に比べ、わが国の劇場は粗末な感じがする。経済と文化的力量の違いもあろうが、何事も極端に走ってしまう社会的経営能力とも関連があるようだ。先ず、文化分野だけでも、先祖たちの調和と中庸の哲学を学んでほしいものだ。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com