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[オピニオン]ディプリ(打ち上げ会)

Posted May. 23, 2003 22:42,   

「ディプリ(打ち上げ会)」は民俗文化で多くの意味を持つ。農楽(農民の民族遊び)ではひとしきり公演が終わった後、ノリペ(農楽隊)と見物する人が一緒に交わって踊ったり、濁り酒(どぶろく)を飲んだりする行事を意味する。民俗遊びでは普通本番前の「アププリ」と本番中の「ボンプリ」、そして「ディプリ」がある。本番前の「アププリ」が興をあおる場であり、本番の「ボンプリ」が中心となる場とすれば、「ディプリ」は締めくくりの儀式だ。パンソリでも一番最後のところをディプリと言う。「興夫(フンブ)歌」の「ディプリ」はノルブ(興夫の兄)が罪を悔やんで、興夫と仲良く暮らすという内容だ。黄海道(ファンヘド)の康翎(カンリョン)仮面舞いでは、端午(タンオ)の日公演をした後、10日後にまた集まって公演をしてから仮面を焼く行事をディプリと言う。

◆民俗で「グッ」(巫女が厄を取り払う儀式)の意味は多様だが、一つ共通された機能がある。グッは心の中のわだかまりを解いてくれる儀式だ。社会科学的な解釈を借りれば、くすぶったことは構造的矛盾だとして、解くことは解決を意味する。疾病を治療して家族の葛藤を解き、村と国の災いを防ぐための念願がグッという意識に表現される。すべてのグッはディプリのグッをしてから終る。戦争と貧乏と恨が歴史で重なり、解かなければならないことも多かったはずだ。解くことの中でも最後のディプリが楽しくてこそ、その上機嫌を翌日、生産につなげることができる。

◆言語の達人と言われる未堂徐廷柱(ミダン、ソ・ジョンジュ)の詩の中で「行進曲」という詩が、ディプリの雰囲気が絶妙に似合う。宴は終わったよ。最後に座ってクッパを食べて/赤い火を燃やして/灰を残して//包装を取り除けると、暮れる空/立ち上がって主人にあいさつをすると//結局はみんな少しずつ酔っていて/私たちみんな帰る人々…。

祖先は宴という本番が終われば、ディプリをしに行くビアホールやルームサロンもなかった。ただひとしきり一緒になって踊りながら、クッパを食べて包装をたたんで主人にあいさつをして帰るのが昔のディプリだった。

◆盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と与野党3党代表が会って国政について話し合ってから、与党民主党の鄭大哲(チョン・デチョル)代表の提案で、野党ハンナラ党の朴熺太(パク・ヒテ)代表、自民連の金鍾泌(キム・ジョンピル)総裁が江南のルームサロンに行ってディプリをしたことが問題になっている。3人の代表がいずれもお酒が好きな人であるため、大統領府を出て、物足りない気持ちと少し足りないアルコールを補いに行ったことまでは良かったが、国民の生活が厳しい時期にとても豪奢な店へ行ったようだ。3人の代表は「昔には政治が浪漫があったがこの頃はとても厳しい。争う時は争っても解く時は解こう」と話したそうだ。本番のディプリがうまく行かないと、強いお酒を交わすのが長くなるものだ。結局はみんな少し酔って帰ったがディプリの終わりが気まずい。

黄鎬澤(ファン・ホテク)論説委員 hthwang@donga.com