「権力とマスコミが強者カルテルを形成しないように節制してほしい」という盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の発言は、どのマスコミを念頭に置いてものなのか。韓国社会で権力といえば、大統領府が最強の位置にある。大統領府と意気投合してカルテルを形成するマスコミなら、当然権力に「友好的な」一部の新聞と放送、そしてインターネットメディアがその対象であるはずだ。
我々はすでに盧武鉉政権発足の時から、この権力とマスコミのカルテルを憂慮してきた。盧大統領の言葉のように「強者同士が妥協する反則特権のカルテル」はすでに副作用が出始めている。「そこに不正反則が生じて、弱者は踏みにじられて暮す」という大統領の発言どおり、2日規制改革委員会の全体会議を通った新聞告示改正案は、大統領府に批判的なマスコミに迫害を加える手段になる可能性が高い。政府が新聞社を規制することで、マスコミの批判機能を萎縮させることができるようにした制度面での保障という指摘も出ている。
自由民主主義社会において、マスコミは政府に対して批判的な位置に立っていなければならないということは、ジャーナリズムの教科書に明示された事実だ。国民の知る権利に代わって、政府を監視することに疎かなマスコミは、それ以上マスコミとは言えない。マスコミが政府規制から自由でなければならないことも、こうした公的責務を果たすためだ。
盧大統領は「政府の信頼を傷つける報道があったにもかかわらず、何の措置も取らずに済めば、職務遺棄だ」と述べた。しかし政府が国民の信頼を失うことをしたのに、マスコミが何の指摘もせずに済ますことこそ、マスコミの職務遺棄だ。政府が信頼を失うことはマスコミの報道のためではなく、政策と公権力行使の過ちのためであることを念頭に置かなければならない。
この政府の望むマスコミは、政権のパートナーまたは隷属者ではないかと聞きたい。そうしたマスコミは共産主義や独裁政権によく存在する。盧大統領は、マスコミ統制を試みたが結局「失敗した政権」と記録されている過去の権威主義政権を振り返ってみてほしい。すべきことが山ほどあるのに、機会あるごとに批判的なマスコミを咎める大統領のマスコミ観が変わることを期待する。






