高建(コ・ゴン)首相は就任と同時に、「責任首相」と「安定首相」という国民の期待が込められた別称を得た。それは時代の要請であり、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の約束でもあった。しかし、就任後50日も経たずにいずれも色あせた。ついに大統領府が首相の役割強化を建議し、盧大統領が案を設けるように指示するほど、首相の国政疎外は深刻な状況だった。
1次的な責任は盧大統領にある。大統領の包括的補佐機関である首相に大統領が力を与えない限り、首相の役割は制限的であるしかないためだ。大統領府が拡大した時から、このような権限の集中はすでに予見されていた。一線の検事や労組幹部とも直接会う盧大統領の現場政治も、首相を後ろに追いやる一つの要因になったという指摘を受けている。
高首相の帰責理由も軽視することができない。存在感のない行動が、彼を国政の第一線から退かせた側面がある。政府中央庁舍統合のブリーフィング室の設置にしてもそうだ。マスコミ政策が主要懸案として浮上したのが最近であるにもかかわらず、最終計画を新聞で分かったというから、理解しがたい。国政広報処長の報告漏れにも劣らず、首相が事前に知らなかったことは問題だ。先週の国会対政府質問で、マスコミ政策と関連した質問に、高首相が始終「はっきり分からない」とか「思うに…」という風にかわしたことも、保身行動という印象を与える。
このような状況で、人事から政策に至るまで大統領府の声だけが聞こえるため、高首相が何に責任を負っているのか、国民は疑問に思うだろう。そのうえ政府機関間の政策の食い違いがそのまま表出しており、「行政の達人」と呼ばれる高首相の安定感までも疑われている。
違うなら違う、間違いなら間違いと言うべきなのが責任首相である。そして早ければ遅らせ、偏ればまっすぐにさせるのが安定首相である。このために高首相から声を大きくして、国政調整力を回復するように努力しなければならない。高首相が自ら約束した「憲法に規定された権限に忠実な首相」として立て直すことを重ねて求める。






