
「事件は血なまぐさいミステリーですが、当時の刑事の話を聞くと一編の不条理劇のようなものです。アメリカっぽいジャンルのスリラーと農村の素朴な雰囲気を絡めると面白そうだと思いました。深刻なスリラーではなく、『田園日記(農村を背景にしたロング・ラン・ドラマ)』が『セブン』に出会った時、とでも言いましょうか、一種の『農村スリラー』です」
実際に起きた事件だから取り扱いに慎重にならざるを得ないが、実際の状況があまりにもコメディのようで、むしろ描写を慎まなければならないほどだったという。当時、刑事たちは、北向きの警察署の正門を動かせば、犯人が捕まるだろうという占い師の話に、正門を東向きに変えたが、事件はまた起きた。西海岸の海で体を清めて供え物をして祭れば犯人が見つかるという占い師の言葉通り、旧正月の15日に西海岸に行って、陸軍哨兵に気づかれて恥をかいたこともあった。
「切羽詰まった人たちの振る舞いが、時にはコミカルに感じられる時ってあるじゃないですか。そんな描写が多くて、映画もそんなコミカルなシーンが多いんですが、『なぜ、負けたのか』という本質的な質問を投げかけてみると当時の時代相に結びつくんですね」
華城(ファソン)連続殺人事件はアジア大会とオリンピックが開かれ、第5共和国(1980〜87年全斗煥政権)が崩壊する直前、全国がデモ行進で大騒ぎになっていて、大半の警察組織と公権力はデモ鎮圧に投入されていた時期に相次いで発生した。
「事件が発生すると、道は戦闘警察(機動隊のようなもの)でいっぱいになるが、1ヵ月ほど過ぎると戦闘警察は再びデモ鎮圧に行き、するとまた事件が起きてました。戦闘警察を道に立たせておく余裕がなかったんですね」
体制の存続と関連した大事件が個人の命がかかっている小さな事件を圧倒していた時代。責任はすべて田舎の刑事たちに負わされ、「当時の刑事たちにとって、その事件はいまだにガンのように残っています」という。
「結局、片田舎の女性を守ろうという国家の意志と力量、連続殺人犯と対決するのに必要な緻密なシステムが不足していた当時の時代が、この事件を永遠に迷宮入りにした本当の原因ではないかと思います」
そうした点で、80年代を取り扱った大半の映画が色褪せた、昔を懐かしむように過去を振り返る回顧的なものであるのと違って、「この映画では80年代を真っ正面から見ようと試みました」という。
金熹暻 susanna@donga.com






