Go to contents

「きのこ雲で足元も凍りついた」イラク住民が伝える空爆の恐怖

「きのこ雲で足元も凍りついた」イラク住民が伝える空爆の恐怖

Posted March. 22, 2003 22:39,   

21日夜9時頃(現地時間)。イラク・バグダッドの夜空が突然昼間のように明るくなった。地球全体が搖れるようなごう音に引き続き、数十メートルもの黒いきのこ雲が立ち上った。あっという間に窓の外は真っ赤に染まった。

2階で眠っていた甥のムスタパ(9)とサラ(5)が大きな声で泣き崩れた。兄と姉妹たちはそれぞれ子ども1人ずつを背負って自動車に乗りこんだ。都心の大統領宮からわずか5キロしか離れていない彼らの家はとても危なかった。

「子どもたちでも無事に…」。妹と兄は遠くない所で火の海が見えるのにもかかわらず、自動車を走らせて30キロほど離れた自分の両親の家に向かった。

KOTRAバグダッド貿易館の現地職員アフメド・アル・オベイディー氏(30、写真)が、東亜日報との国際電話で明らかにした緊迫した瞬間だ。

親と姉夫婦、2人の甥と一緒に暮す彼は、もう数日もほとんど夜を明かした。91年の湾岸戦争ですでに空襲サイレンには慣れているが、こんなにも早くおびただしい攻撃が行われるとは予想もしなかった。

一晩中爆撃を浴びせられた後の明け方の街並みは、殺風景だった。近隣の住宅街への爆撃はなかったようだったが、まだ爆撃によるほこりが通り一面に積もっていた。誰ひとりあえて外に出ることができなかった。

彼は1カ月前に式をあげた婚約者と妹と兄、そして近い親戚に急いで電話をした。みんな昨夜に無事だったようだ。「よかった、よかった、アラーに感謝を…。」

子どもたちには何の罪があろうか。20日に米軍の攻撃が始まった後、7人家族は毎晩お互いに抱き締めて恐怖を抑えた。

家族は、子どもたちに戦争の悪い記憶をなくすために、引き続き話題を変えなければならなかった。それでも、子どもたちはどこで聞いたのか「どうして米国が攻めてくるの」「我が国は何を間違ったの」とよく聞いた。暗くなればもっと恐ろしがる幼い子どもたちがかわいそうで、数日前からは睡眠剤を飲ませて寝かしている。

アフメド氏の家は2階の一戸建てだ。近くに防空壕があるが「家以外には信じる所がない」と避難していない。湾岸戦争の時に、子どもたちや女性、年寄りたちが待避した防空壕を軍事基地と間違えられて爆撃されたことがあるからだ。

アフメド氏との電話は、21日夜から翌日の明け方7時までに数回行われた。電話中にもよく爆撃音が聞こえた。そうするたびに電話が切れて、何回もかけ直さなければならなかった。

「今、私の頭の上ではミサイルが飛び回る。もしかしたら今晩、我が家にも爆弾が落ちるかも知れない。米国は結局、武力でバグダッドを焦土化するだろうが、イラクを支配することはまた別の問題だ」。まだ爆撃が続いていた明け方に、彼が残した言葉だ。



李英伊 yes202@donga.com