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海外で奉仕活動に打ち込む韓国人青年たち

Posted December. 08, 2002 22:33,   

●「生まれて初めて銃を撃つ」

フィリピンの首都マニラから飛行機で1時間のところに、シュロの木が生い茂るパナイ島がある。空港から1時間ほど車を走らせると、イロイロ州のニューセルナにたどり着く。ここでは、除(ソ)スンヒ(25)氏が、地元の住民とともに収益事業と地域開発企画づくりに向けて1年がかりで取り組んでいる。彼は全北(チョンブク)大学大学院で地域開発を専攻していたが、理論と実際を結び付けてみたいとの思いから、KOIKAのボランティア募集試験に応募した。

「昨年11月ここに着いたとき、現地人から真っ先に教えられたことは、銃器の分解と射撃だった」と除氏は語った。自由に銃器を所持することのできるフィリピン特有の、治安が不安だったからだ。6月にはマニラで韓国人外交官が、11月には韓国人外交官の運転手が撃たれて死亡している。

「銃を撃ったのは生まれて初めての経験でした。地元の人が使う麻薬の「シャブシャブ」に酔って、時折騒動を起こす男たちのためです。今でも私の部屋にはピストルとココナッツを切るときに使う長い刀が3本あります。幸い今まで使ったことはありませんけど…」

フィリピンには中産階級がいないため、貧富の差が激しい。7600万の人口のうち、30%が1日1ドルの稼ぎもないが、15の大家閥が国の半分以上の富を握っている。

除氏は「典型的な貧村のニューセルナの住民とともに、今春から装飾用観葉植物「ポム」の商業栽培に取り掛かり、ライスケーキとピーナッツバターづくりなどの収益事業を始めた」と語った。

最近、8世帯に資金を与えて豚を1匹ずつ買わせて養豚業を始めた。3日には村の公会堂を完成させた。除氏は公会堂を建てるために、この2ヵ月間、村の住民と一緒に木材とれんがを運んだ。

除氏はまた、地元の住民と早く打ち解けるために手でご飯を食べ、現地のことばであるイロン語まで習った。「マヨンアガ(こんにちは)」「サラマッ!(ありがとう)」「ブソコ(お腹一杯です)」くらいは自由に使い分けることができる。除氏を愛し尊敬する地元の人々は、彼に「サンサン」という名前をつけてくれた。「サンサン」は、よくある住民の名前の「スサン」から「サン」の字を取ってきてつけた。「あなたのもう一つの私たち」という意味であろうと除氏は考える。

●農場に漂うグリーンパパイヤの香り

除氏が働くニューセルナから、ジャングルの中を通る道路に沿って3時間ほど走ると、アクラン州カリボ村にたどり着く。広大な森の中にアクラン大学農家大学があり、この農場で文(ムン)ミジョン(25)さんが汗を流している。

文さんは、忠清南道天安(チュンチョンナムド・チョンアン)にあるヨナム畜産園芸大学を卒業後、障害児の世話を経て昨年11月、海外奉仕団のメンバーとして派遣された。「初めのころ、父が国際協力団を海外人身売買団と誤解したため、説得に苦労した」と話した。

文さんが働く農場の周りは、治安が不安なところではないが、「自然」が怖いときがある。夜になると、カッコウの泣き声に似たトカゲの泣き声が目と鼻の先から聞こえてくる。1日に20回以上蚊に刺されることもある。

文氏は、韓国から100種あまりの野菜と果物の種を仕入れてきて農場に植えた。「フィリピンは日差しが強く豪雨も多い方です。作物よりも雑草の方が早く育ち、害虫も多いですね。暑さに疲れた地元の人々は、農薬をまいたり草刈りといったわずらわしいことを嫌います。何といっても、このような現実に適した作物を選んであげることが一番です。トマト、なす、カボチャ、え胡麻は栽培に失敗し、ウリ、きゅうり、唐辛子は成功しました。なかでもニラは独りでによく育つので、住民が栽培するにはちょうど良いですね」

文氏は、農場中に漂うパパイヤの香りを楽しむのが幸せだと語った。「グリーンパパイヤの香り」という映画を観ながら、どんな香りかと気になっていました。日が暮れると、農場いっぱいに広がるパパイヤの香りは、ほんのりと甘いものです。まるで素直なフィリピンの人々のように…」

●「奉仕団のメンバーが上流階級に」

インドシナ半島の西、ミャンマー(旧ビルマ)に着くと、変わった紙幣を見ることができる。45チャト(貨幣単位)と90チャトの紙幣がそれ。軍人出身の故ネウィン元大統領が個人的に数字の「9」を好んだことから、一部の貨幣の単位を9の倍数にしたことに由来する。ミャンマーの軍部統治が残した遺産といえる。

1人あたりの国民総生産(GNP)が300ドル台に過ぎないミャンマー(旧ビルマ)で、公務員である医師の給料は、わずか10ドル(1万チャト)前後。医師たちは夜になると、個人病院でアルバイトしながら金を稼いでいる。

ミャンマーの首都ヤンゴン郊外にあるミンガラ地区のらん研究所には、姜(カン)ソンスクさん(32)が働いている。彼女は「KOIKAから毎月基礎生活資金として、奉仕団員は330ドルをもらっているが、地元では高額年俸者に値する給料だ。貧しい国へ奉仕するためにきた者が、不本意ながら上流階級になってしまった」と語った。

姜さんは「だからこそ一生懸命に働く韓国人になりたい」としている。午前8時半になると、すし詰めの満員バスに揺られながら出勤して、まる8時間以上もの間、らんの栽培と研究員たちの研究基盤づくりに取り組んでいる。KOIKAから3500ドルの支援を受けて、ミャンマー人向けの商業用らんの栽培について教える教育施設を建設している。最寄りの苗床の集結地に、スプリンクラーとタンクも整備した。

「女性新聞」の記者だった姜さんは「名字を使わずに名前だけを使うのもミャンマーならではの特色」と語る。そのためか、同じ名字を使う親族同士の結婚もありがちだという。名前には生まれた日の曜日を入れる習わしがある。ノーベル平和賞受賞者の在野指導者アウンサン・スー・チー女史の場合「スー」は、火曜日に生まれたという意味。姜さんは「ミャンマーは19〜21世紀の文化が共存する国。貧しいながらも、韓国をモデルにして経済成長を成し遂げようとする希望を持っている」と語った。



權基太 kkt@donga.com