「放送と通信の融合が急速に進んでいる」
数年前から矢継ぎ早に提起されているホットな話題のひとつだが、この話題にはコンテンツ不足を憂慮する声が付きまとう。
今年の夏、日本の公共放送のNHK衛星放送が、テレビアニメーションシリーズの「鉄腕アトム」の全シリーズを1日10時間ずつ1週間にわたって放映した。コンテンツ不足を心配している韓国の関係者にとっては非常にうらやましい話だろう。さらに重要なのは、とっくに30年が経っているアニメーションであるにもかかわらず、人々の関心が非常に高いということだ。
韓国の映画やドラマの場合を考えてみよう。10年経った映画やテレビドラマをもう一度見てみたいと思っている人がいるだろうか。放映当時には視聴率が50%を上回り、社会的にさまざまなシンドロームを巻き起こしたドラマでも、1年過ぎればもう一度見たがる人はいない。
ドラマや映画が簡単に人々の関心から遠ざかってしまうのは、演出や技術の問題ではないようだ。華々しい3次元グラフィックを売り物にする先端ゲームが数え切れない中、いまだに「テトリス」や「煉瓦破り」など、古いゲームを楽しんでいる人も多い。このところ、10〜20年前の漫画が復刻本として再び日の目をみるケースをしばしば見かける。今も十分楽しめるほどの面白さを与えるためだ。
こうしたケースを総合してみると、こういう結論を見出すことができる。エンターテインメント・コンテンツは、映画やドラマのように人(主演俳優)がメインのコンテンツと、アニメーションゲーム・漫画のように、人がメインでないコンテンツの二通りに分けられる。そして人がメインとなるコンテンツは飽きられやすい。
大衆音楽を例にとれば、この2つの違いが分かりやすい。歌手が好かれて歌が人気を集めるアイドル歌手の場合は、何年か経つと、どんな歌を歌ったかも忘れられてしまうのだが、歌そのもので勝負に出た歌手は、本人も歌も長く親しまれる。
人がメインのコンテンツは言葉通り人が楽しむものだ。ところで、人は老いやすく、しかも変わりやすい。青春スターも何年か経つと、もう青春でなくなる。スキャンダルによって、イメージが変わりやすいほか、人々の考えも時代に沿って変わるため、同質性が簡単に失われる。一時代を象徴していた人も、時代が変わるにつれ色あせてゆく。
日本は人が登場しないコンテンツを数多く保有している。これまで制作されたテレビシリーズのアニメーションだけで、1万5000時間以上を放映できる。なのに、コンテンツ不足を心配する声が高い。人がメインのコンテンツだけを集中的に作ってきた韓国は言うまでもない。
当代のスターを起用して映画やドラマを作るのが、コンテンツ成功のお墨付きなのかも知れない。しかし、より長期的な考え方をすれば、アニメーションのように人がメインでないコンテンツこそ、会社の資産として蓄積されるコンテンツだという点を、意思決定におけるひとつの物差しとして考えられる。






