自白が証拠の「王」であった時代には、拷問は一つの法的制度であった。朝鮮王朝の法律では、拷問は「訊杖(じんじょう)」で打つことであった。訊杖は長さ3尺3寸で、握る部分は長さが1尺3寸、直径7分、打つ部分は、長さ2尺、幅8分、厚さ2分で、柳でできている。一度に30回まで、必ず平たい部分でひざの下を打ち、すねの骨を打ってはならず、3日以内は再び訊杖をすることを禁じていた。しかし、規格に合った「法杖」以外に、規格より大きくて重い「別杖」が公然と使用され、30回という決まりは無視され、体全体を打ったのであった。それだけでなく「笞背(背をムチで打つ刑罰)」「乱杖(めった打ちにする刑罰)」「圧膝(板や石で膝を押さえつけた刑罰)」「炮烙(油を塗った銅柱を炭火の上にかけて、その上を罪人にはだしで渡らせた刑罰)」「烙刑(焼印を体につけた刑罰)」ような違法な拷問も行なわれた。
◆法で禁止されてからも、拷問は粘り強い生命力で使用され、より巧妙となっていった。第五共和制(全斗煥大統領時代)、ある在野の運動家は、韓国の状況を当てこすって、全世界の独裁国家の拷問テクニックを詳しく紹介した。その本には、犬の餌拷問、水拷問、マルコス拷問、汚物拷問、爪拷問、蛙拷問、歯拷問、足の裏拷問、不眠拷問など、見たことも聞いたこともない100種類あまりの多様な拷問テクニックが記載されている。その時代の拷問風景を見てみよう。
◆角材4、5個で作った高さ1m、長さ1.7mの拷問台の上に毛布を敷いて裸で横にならせる。毛布を巻いて体を包み、足首、膝、ふともも、腹、胸を縛る。目にバンドをし、厚い手ぬぐいで口と鼻を覆った後、その上にヤカンに入った水をかける。また裸で拷問台の上に寝かせて、胸、股間、足に水をかけて濡らした後、前述のように体を縛る。そして、まず水拷問を弱めて、つぎに足の指に銅線をつなげ、初めは弱く電流を流し、だんだん長く、強く電流を流す。
◆5共時代に、ある運動家が受けた拷問である。ところで、その拷問の被害者が与党の最高委員にまでなったこの時代に、国民は再び、ソウル地検の11階にある特別取調室で、容疑者をトイレの側に寝かせて顔を手ぬぐいで覆い、約10分間、3、4回にわたって水をかけたという事実を目の当たりにした。拷問の質は緩和されたようにみえるが、人々が受けた衝撃は、倍増した。その特別取調室を閉鎖すると言いながらも、参考人を強制的に出頭させ、うその供述は罰すると目むく捜査機関の発想の中に、国民は再び、必ず誰かの自白を得てみせるという不穏な意志を読み取るのである。
パク・インジェ、客員論説委員・弁護士 ijpark2356@hanmail.net






