彼らは金メダルを望んでいるわけではない。観ている人がいなくてもかまわないと言った。肉体の限界よりは「心の限界」を乗り越えるために走ると言った。釜山(プサン)アジア太平洋障害者競技大会(FG)で、視覚障害者3人と、脊椎と切断障害者(車椅子部門)12人が、大会最終日の1日、42.195kmのマラソンフルコースに挑む。
正常な人も走り抜きがたい道。しかし彼らはむしろ「可愛そうに見る目つきはいやだ。正常な人と同じ目線で見てください」と注文をつけている。
かすかに一つの物体だけを区分できる視覚障害2級のマラソーナーは、韓国のイム・ソンジュン(24)と日本のホシナキヨシ(55)、カザフスタンのセトブ・ジェイノーラー(42)の3人。車椅子に乗って走る脊椎と切断障害者は、韓国の李ボンホ(34)、タイのターナー・ラワート(25)、ニュージーランドのネルソン・ジョーナサン(19)ら13人。
視覚障害者はフルコースを走りながら、選手1人あたりランニングコーチ4人のガイドを受ける。4人のランニングコーチは10kmずつ走り分けて、「上り」、「下り」、「右」、「左」と叫ぶ。コースの状態を教えて、ペースをコントロールしてもらうためだ。ランニングコーチは絶対選手より前へ進むことができず、選手と同一線上または後ろで走らなければならない。
こうした困難の中でも彼らは3時間30分前後でフルコースを完走する自信感を示した。
このコースは釜山アジア競技大会当時、李鳳柱(イ・ボンジュ)選手と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のハム・ボンシル(女)選手が、それぞれ2時間14分04秒と2時間33分34秒で走りぬいた道。車椅子に乗った障害者は、普通のマラソーナーよりはるかに早い1時間30分台を目指している。
「障害者への偏見がなくなるまで、走り続けます」。視覚障害者のリム・ソンジュンさんはさ迷っていた自分を勇気付けて、心配ばかりかけていた両親に恩返しをするために、徹夜してでも完走する覚悟だ。彼が国際大会のマラソンプルコースに挑戦するのは今回が初めてだ。
彼は高校1年生の時の96年、視神経のい縮によって視力を失った。最初は「障害」を受け入れられなくて、外出もしていなかった。しかし、99年に「走り」が彼を世の中に呼び出した。まともな訓練施設も整っていない国内障害者スポーツの現実は、彼を何度もざ折に追い込んだ。家族の愛情が唯一の慰めだった。彼は今度の試合で金メダルなどに特別な意味を与えていない。「ひとりの人間、スポーツマンとして見てくれ」という素朴な望みだけを持っている。
5歳の時、ポリオで下半身が麻痺した車椅子のマラソーナー、李ボンホさんは、「今回の釜山アジア太平洋障害者競技大会に参加した1575人の障害者選手のみんなが同じ気持ちだろう」と話した。
李さんは89年、日本神戸のアジア太平洋障害者大会でマラソンなど8つの種目で金メダルを獲得して、最多メダリストを記録したが、国内では賞状ひとつ受け取れなかった。彼は「障害者に平等な社会」を望みつつ今回もまた走る。
さらに良い日を待ちわびながら走りつづける障害者の「平等に向けた力強い挑戦」は、彼らの人生ほど涙ぐましい。
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