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師弟で出会い60年間信仰深める

Posted July. 19, 2002 22:40,   

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「テオドール神父様は自分にとって恩師であり、霊的な父親でした。1969年に私が法王パウロ6世から枢機卿として任命されたとき、真っ先に知らせてくださったのもテオドール神父様でした」

19日午前11時ソウル市麻浦区新水洞(マポグ・シンスドン)の西江(ソガン)大学聖イニャシオ館協会で行われた故テオドール神父の葬儀ミサ。

日本上智大学時代に故人の弟子だった金枢機卿は、この日自らミサを司式し、神父との縁を一つ一つ振り返った。愛と尊敬、悲しさでいっぱいのスピーチだった。西江大初代理事長を努めた故人は13日日本東京ロヨラハウスで98歳で帰天した。

「テオドール神父様は今きっと天におられます。そこでも生前と同じくこのように話されるでしょ。『私は韓国と韓国協会、西江大学のためにお祈りする。そして弟子のあなたとカン・ウイル司教のためにお祈りする。そしてすべてのことは神様のより大いなる光栄のために行うように』とおっしゃっているはずです」

故人と金枢機卿は師匠と弟子として最初にめぐり合ってからおよそ60年間格別の親交を深めてきた。

金枢機卿は「テオドール神父は重厚な性格の持ち主だった。そのために近寄り難い印象を受けがちだが、近くで仕えるものにとっては優しく、母性愛のような感じを受けるほど慈しむ方だった」と振り返る。

故人と一緒にいられる時間がもっとほしいと思いながらも、体調の悪化を心配して故人が早めに帰天することを望んでいた金枢機卿の苦しい気持ちが感じられるところもあった。

「テオドール神父様はご自分と同年代の方々に次々と亡くなられた後、長い間、老衰の苦しみが続くと、たびたび『神様が私のことを忘れておられるようだ』と不満みたいなことをおっしゃいました。私は神父様の白寿を願いながらも、神父の苦痛を考えて神様にその日々を短くしていただくことはできないだろうかとも思ったことがあります」

金枢機卿はまた、故人と西江大学の設立にまつわる逸話を紹介した。

「60年前に私が学生だった頃、神父は自分が生活していた寮の舎監神父でした。神父はある日私を呼んで師弟としての私の将来について話をする途中、機会があれば将来韓国に行って働きたいとおっしゃいました。私は嬉しい一方で驚きました。それはその当時韓国は日本の支配下にあり、日本にいる外国人宣教師さえ関心の対象にしなかった国だからです」

金枢機卿の回顧によれば、故人は最初にソウル小公洞(ソゴンドン)で暮らしながらイエス会員の養成と大学設立を進めたが、一人で大変な苦労をした。特に、大学敷地を確保するまで不動産売買で頻繁に行われる闇取引きなど、様々な理由で苦境に陥ったが、結局敷地を確保し、大学設立の許可を獲得した。

金枢機卿は「テオドール神父は『産みの苦しみ』が大きかった分だけ、西江大学に愛情を注がれた。こんな愛情があったためにご自分が亡くなられた後、韓国で眠りたいとお考えになったと思う」と話した。

この日の葬儀ミサには、ユン・ゴンヒ、チョン・ジンソク大司教、在韓法王大使モランディニ大司教、カン・ウイル、イ・ハンテク司教、西江大総長のリュ・ジャンソン神父ら400人余りが参列した。



金甲植 gskim@donga.com