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[オピニオン]サッカーが麻薬だと・・・

Posted May. 27, 2002 14:16,   

2002韓日ワールドカップサッカー大会の開幕が迫っている。数日後には、全世界の耳目がこのサッカーの大祭典に集まるのだ。1990年のイタリア大会のテレビ視聴者数は、延べ260億人、94年の米国大会は延べ320億人に達したとされる。

統計上では、60億人余りの地球の住民1人が少なくとも4、5回、中継放送を視聴した計算になる。98年のフランス大会と2002韓日大会は、出場国と試合数が増えた分、この数値を超えるのは確実だ。

ワールドカップに対する高い関心は、サッカーが全世界で最も広く普及していて、また最も愛されているスポーツのひとつだという事実を反映している。1904年の設立当時、欧州大陸の7カ国の参加でスタートした国際サッカー連盟(FIFA)が、今は国連より多い200以上の国と地域を擁しているという事実もまた同様だ。

なぜサッカーがこうも人気になり、どうやってサッカーが全世界を征服したのだろうか。サッカー愛好家としては、ボールと足が織り成す劇的な勝負を演出するサッカーという競技そのものの魅力を抜きにして考えることはできないだろう。しかし、サッカーが個々の国または世界レベルで人気のスポーツに発展するまでには長い歳月がかかり、一定の歴史的背景も作用している。

よく知らしているように、サッカーは19世紀の英国の「発明品」」だ。今日行われる近代サッカーのゆりかごは、イートンをはじめとする英国のエリート中等学校であり、特に1863年彼らが中心となったイングランドサッカー協会が創設されたことは、競技方式においてラグビーと区分される新しいフットボールが誕生する契機となった。サッカーは英国の「発明品」であると同時に、「輸出品」でもあった。19世紀、世界のあちこちに進出した英国人は、母国で生まれた新しいスポーツを現地に伝えるサッカー「宣教師」の役目を果たした。

英国でサッカーを誕生させたのはブルジョアだったが、サッカーを育てたのは労働者たちだった。サッカー協会創設後、至る所にサッカークラブが生まれ、全国各地で試合が行われた際、労働者たちは選手または観戦客としてサッカーの大衆化に貢献した。労働運動を通して勝ち取った土曜日の午後の休みと賃金引き上げのおかげで、サッカーをプレーしたり観戦したりすることは、多くの労働者にとって週末の楽しみになった。

サッカーの大衆化には、地域主義と民族主義も一役買った。

地方のサッカーチームに対する支持や後援は、地方的アイデンティティーや愛郷心を反映し、同時にそれを創出した。しかし英国とは異なり、サッカーのブルジョア的性格が長い間続いた欧州と南米の場合、サッカーは地域主義より民族主義と結びついた。第1次世界大戦後、これらの大陸内または大陸間の国際大会が相次いで設定されたことで、サッカーはスポーツ民族主義の典型となった。

サッカーの大衆化とともに、サッカーの発展を刺激したのは、プロサッカーの登場だった。アマチュアリズムにこだわるジェントルマンたちの反発の中、英国では第1次世界大戦前に、欧州と南米大陸では第1次世界大戦後に、アマチュアを装った形のプロサッカーが導入された。

国際オリンピック委員会(IOC)ともめる中、1930年ウルグアイで開催された第1回ワールドカップ大会は、プロサッカーに対する執念の表れだった。

大衆化と商業化の道を通って発展したサッカーに対して、批判の声を免れることはできない。ブルジョアエリートたちは、サッカーがアマチュアの原則とフェアプレー精神に背くと、関心を持たなくなった。社会主義者たちはブルジョアに由来するサッカーを、労働運動を妨害しようという術策ではないかと疑った。今日の社会アナリストたちの中にも、サッカーを大衆の政治的判断を麻痺させる「アヘン」と規定する人もいる。

このような分析と批判は正しいが、一面的でもある。ドイツのナチズムやイタリアのファシズム、南米の軍事政権がプロパガンダや統制手段としてサッカーを利用しようとしたのは周知の事実だ。しかし、サッカーは終戦直後、イタリアでは民主主義への移行を促し、アルゼンチンとブラジルでは独裁に対する抵抗の砦となった。このような矛盾した例から出せる結論は明らかだ。サッカーは決して政治と無関係な中立的存在ではないが、問題はサッカーそのものではなくサッカーを社会的にどのように受け入れるかという点だ。

サッカーと政治の関係は、今もう一度試験台に立たされる。韓国ではワールドカップの期間中、同時地方選挙があり、ワールドカップの結果が懸案の政治スキャンダルの処理のみならず、年末の大統領選挙にも影響を与えるだろうという点で、今後の流れに注目したい。

アン・ビョンジク、ソウル大教授、西洋史