民主党の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領候補はきのう、自らの「検察に対する警告」を非合理性に当てこすり、説明を行った。「合理的な社会から遠ざかっているほど、自己主張の強い者が王様のごとく振舞うようになるものだが、検察が野党の威勢に押される感じだ。野党が騒ぎ立てるから、検察が敏感に反応して与党の方は徹底して捜査している一方、その反対側は捜査を怠っているのではないか」というのである。
ところが、国民が盧候補の話にどれだけうなずけるか疑問だ。公党の大統領候補が検察に警告をするなら「威勢に押される感じだ」程度では弱すぎる。「このようにして威勢に押された」と、具体的な根拠を示さなくてはならない。検察に対する警告は、よくある政治攻防ではなく、検察の独立性の問題につながる、敏感かつ重要な事案であるからだ。
たとえ大統領の離党で院内の第2党になったとはいえ、国民の考えている民主党は依然として政権与党であり、盧候補は政権与党の大統領候補だ。その盧候補が、明確な根拠もなく感覚だけを頼りにして検察に警告発言をするとすれば、検察の政治的独立を強調するニュアンスに聞こえるよりは、検察に対する政治的プレッシャーとして解釈される可能性が高い。公式の対応はしないということだが、検察がみせた「不愉快な反応」も、やはりそのような理由から来ているはずだ。
2年前の「高級服ロビー事件」以降、さまざまな「ゲート事件」を手がける過程で、手厳しい経験を余儀なくされた検察の問題は、相変わらず検察が「権力の侍女」に他ならないのではないかということだった。検察が、権力にものを言わせた不正事件をずさんな捜査で一貫したあげく、特別検事に捜査権を明け渡さざるをえなかったのは、それほど昔のことではない。さらに、大統領の子息に対する検察の捜査が、一定の線で終了するだろうとする疑いさえ持ち上がっている時に「なぜ与党に限って辛くあたるのか」と言ったところで、国民の共感を得るのは難しいだろう。
さらに盧候補はきのう、釜山(ブサン)のハンナラ党議員らに対し「分裂の政党におもねって…李會昌(イ・フェチャン)総裁の目に留まろうと必死になって…」と非難した。相手を批判したり非難することはできよう。しかし、大統領候補の言葉には、ある程度の格調というものがあるべきではなかろうか。






