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[オピニオン]歴史の視線

Posted March. 04, 2002 09:51,   

数年前の初冬のこと。引越しを終えてその辺を散歩していると、冬支度を終えた広葉樹が、まるで赤ちゃんの頭にこんもりと生えてきた髪の毛をとかしたように整然と立ち並んでいる小高い山の公園を目にした瞬間、胸にじんと来るものを感じた。山の稜線に沿って建てられた住宅街のひっそりとしたたたずまいも気に入った。春になると、家々の塀越しに庭先の木々がなびき、つるバラが咲き誇る様子は、何と美しかったことか。「平和とはまさにこんなものなのだな」と、幸せな気分に浸ったりしていた。

ところがある日から、その家々の窓が取りはがされ、家の中に置かれていたあらゆるがらくたや所帯道具が、はらわたを吐き出したように庭の上に無造作に投げ出されているのが見え始めて間もなく、ブルドーザーでひき潰されているではないか。つい昨日まで何ともなかった家が一夜にして取り壊されていくのが残念でならなかったし、何よりも地元の平和が瞬く間に消えてしまったのが辛かった。

村の入口に「住居地域に12階建てのアパート建設許可決死反対」「悪徳業者を肥やす…」うんぬんの横断幕がかけられ、住民が団体行動に踏切ったものの、法律には少しも触れていないことから、近々12階建ての高級マンションが建てられる見通しだそうだ。結局、近くの小高い山の公園はマンション専用の庭園になり、近所の住民は日照権と緑の山を眺められる緑視権を同時に失うのは言うまでもない。夏になると、高層アパートのコンクリートが吐き出す熱気に苦しみながら、山からしみ出ていた涼しい夜気を懐かしく思うようになるだろう。

ところが、今まさに私の家の前でこのようなことが起きているのだ。小山の公園をびょうぶのように取り囲むようにして高層の高級マンションが建てられるのだという。一軒、二軒、空家が目立ち始めたかと思いきや、ついに山の麓にあった家がすべて立ち退くと、昼夜を問わずに家を取り壊す騒音公害とほこりの公害に苦しめられることになった。そのがれきを運搬する大型トラックの音で、朝早くから目が覚めてしまう。天変地異や戦争などのようにやむを得ない都合からできたのではなく、専ら業者の金もうけのために人工的に作られた廃虚。毎朝、廃虚と化した村を目にしている心境はさんたんたるもので、その真っ只中で暮らす気分は、不快きわまりないものだ。

整地作業が終わればすぐさま掘削作業が始まり、岩盤にでも出くわすものなら頭が揺れるくらいの機械の音に苦しめられるだろう。アパートが完成するには優に2〜3年はかかるだろうから、それまでの間、工事による騒音と工事車両の疾走による危険負担から保護を受けられる仕組みが果してあるのか、心配だ。今のところ、わが国は環境よりは開発至上主義の情緒が強いため、工事による騒音規制

等の法的規制が弱いと聞いている。

政府は、一日も早く細部にわたる環境法を制定して、無謀な開発による苦痛から国民を守るべき義務がある。先ず、改修と補修可能な地域のアパート開発を制限して、やむを得ない場合には住民の生活空間と工事現場を分離する高い防音壁を設置する一方、休日には工事を中止しなければならない。工事時間を日の出から日没までにするとか、ほこりによる公害を防ぐためには水を撒くようにして詳細な騒音規定を設けるなど、住民の生活権を保障する方法を講じなければならない。

18世紀の画家、鄭ソンの真景山水画を見ると、ソウルが美しい公園都市であったことが確認できる。漢陽(ソウルの昔の地名)の景色を描いた絵画の中でも「長安烟雨」が最も生き生きとしたソウルの様子を伝えている。天然の自然景観と緑地をありのままに生かして、快適な生活環境を作り上げていたソウルの都市

計画が目に見えるようだ。まだ天然林が残っていたあの時代にも、緑地保全のために今日のグリーンベルトような禁標政策を施していた。森が人間の暮らしにどれほど重要であるのかを認識していたのである。

近代化の過程で、ソウルの山は削られ小川は覆蓋されて、索漠たる都市と化したことに歯がゆさを覚えながらも、新たに開発された住宅団地すら守ることができないでいる。スラム街や古い建物を再開発するのは当然であろう。経済論理だけを前面に押し出しては、静かな住宅街を取り壊してまでアパートばかり建ててしまう現象が問題なのだ。このままでいけば、遠からずしてソウルは四方にアパート群が立ち並び、巨大な灰色のセメントの塊で取り囲まれて、そこに暮らす人間が息継ぎもできないくらい窮屈な都市になってしまうだろう。アパートの寿命は30年と言われているが、将来アパートを取り壊す際、あの毒性の強いコンクリートの塊を、一体どうやって処理するつもりなのか気がかりだ。

選挙が近づくたびにグリーンベルトを解除することも控えなければならないし、安心して暮らせる住宅街が乱開発によって荒廃化するのも止めなければならない。都市は人工の産物であるだけに、人間の力でいくらでも美しく秩序の整った環境づくりができるはずだ。

鄭玉子(チョン・オクジャ)ソウル大学教授(国史学)、奎章閣館長