「どこへ行ってもPass!○○パスカード」。この広告コピーのようにクレジットカードは旅行客にとってどこでも通じる「パスポート」だ。世界の奥地であれ、砂漠であれ、どこに行っても通じるのが、テレビコマーシャルで宣伝しているクレジットカードの力だ。
今年はワールドカップサッカー競技場で絶妙な「パス」がゴールに結びつく光景が数多く演出されるはずだ。それを見にくる世界のサッカーファンの大半もクレジットカードを頼りにしている旅行客だ。また、W杯大会開催の成功のためにはことばが通じなければならない。彼らといっしょになってチームを応援するためには、まず対話が通じなければならない。だから、W杯大会の開催で、サッカーボールだけがあちこちに行ったり来たりするのではなく、人・金・ことばもあちこちに移動し、交換される。サッカーボールが人を集めるとすれば、人の考えとことばもやはり互いに違った観念を絶えず集めては結び、連係させる本質を持っている。英語が世界各国の人々を互いに通じさせるとすれば、金の威力はそれ以上の力を持っている。貨幣経済が活性化すればするほど、かつて想像できなかった出会いが、様々な人々の間で、互いに離れている物と物の間で行われる。
ここでは、中でも「貨幣」と「思考」間の類似性、その並行関係について考えてみよう。抽象的な思考の起源は貨幣の起源と一致するということはすでに長いこといわれてきた。貨幣は相違う事物を互いに比較できる、ある共通の性質を分け持っているという考えから由来している。それはすなわち、特殊な事物に普遍的で、同一の概念的な属性が含まれているという信念と同じだ。貨幣や概念、すべて一般的な等価物であり、抽象的な実体のように見えるという点で相通ずるものがある。
マルクスは貨幣を鏡に比喩したことがある。すべての商品が自分がどれだけ高いのかを映し、互いを比較するために交換取り引きから孤立させた商品が「かね」だというのだ。しかし、貨幣は商品の鏡というよりは、歴史的な現実そのものを表わす鏡だ。一つの時代の考え方、社会的な秩序すべてが貨幣に反映される。このため貨幣の形が変われば時代が、時代が変われば人間が変わる。
この点を洞察した古典はゲオルク・ジンメルの「貨幣の哲学」(1900年)だ。この本によると、中世の人々は集団と地域に束縛されていた。所有物と所有者はまだ分離されておらず、経済的な行為に人格があった。こうした統一性は近代に入って壊れてしまう。近代社会では、公共の領域と私的な領域、所有物と所有者が分離される。主体と客体が互いに違う法則にしたがって自主的に変化し、それぞれ多様な離合集散と分化過程を経る。ところが、こうしたすべての変化が貨幣経済を導入したために起きた、とジンメルは主張しているのだ。
否定的な見方をすれば、それは貨幣があらゆる価値の上に君臨する物質崇拝の現象を見せている。だが、前向きな見方では、それはあらゆる社会関係の合理化の現象である。貨幣が媒介となればなるほど、社会関係はさらに流動的になり、相互依存に陥ってしまい、客観性を帯びるようになる。反面、個人は社会的な関係から自由な、私的な内面性を備えるようになる。こうした傾向はクレジットカードの登場でさらに進んだ。
今日の学者ら、例えば米国の社会学者ダニエル・ベルは、クレジットカードが導入される時期をポスト近代が始まる分岐点とみるほどだ。では、近代とポスト近代との違いは何なのか。近代が貨幣がゴールドのように永久不変の実体に取って変わる記号として理解された時代だとすれば、ポスト近代はことば通り、信用が貨幣の位置に取って代わる時代だ。
最近、クレジットカードの使用が活性化している。財源の透明性を確保し、課税指標を明らかにするために、政府の判断と意志によって進められてきた結果だ。だが、そのスタートはどうであれ、物と物の交換と決済方法の変化はもはや政治経済学のレベルを超えて、広範囲な範囲にまで影響を及ぼしているということを忘れてはいけない。公共領域だけでなく私的な領域にいたるまで、意識のレベルだけでなく無意識のレベルにまで影響を与えるのだ。結局、クレジットカードの使用によって、行為をする主体の世界観と道徳的な感受性を新しく決定づけるのだ。
このように互いにかみ合って世の中が回っていくということ、その「変化」を拒否した時、その代価は大きい。1997年国際通貨基金(IMF)の通貨危機はもちろん、最近の各種のゲートがこれを物語っている。まさにこうしたものが前近代的な感受性を保有したまま、近代的な経済体制に安住しようとした代価であり、近代的な考え方でポスト近代の秩序を計画した代価である。要するに不一致の代価だった。
これは個人のレベルでも同じだ。どこでも通じるからと言ってクレジットカードをいつどこでも取り出せば、「地獄の門」が開くかも知れない。ただ成熟した道徳的な主体によって使われた時にクレジットカードは「ここが天国です」と言うだろう。
金上煥(キム・サンファン)ソウル大学教授(哲学)






