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[オピニオン]DJとJPが手を握った時

Posted September. 04, 2001 09:57,   

1997年11月、DJ(金大中大統領)とJP(金鐘泌・自民連名誉総裁)の二人が手を握った時、両金氏のあまりにも異なる行跡のため、関心を示した人はあまりいなかった。

1961年5月16日、金鍾泌中佐が朴正熙(パク・ジョンヒ、元大統領)少将の指示のもとでクーデターを起こし、その2日後、DJは4度目の挑戦の末ようやく手にした民議員(選挙区、江原道インジェ)のバッジを手放さざるを得なかった。それを機に始まったDJと軍部政権との不仲は、その後の拉致と投獄、死刑宣告、亡命の試練と続いたが、それは過ぎた昔のことだった。JPもまた1980年、陸軍士官学校の後輩たちに辱められ、95年にはYS(金永三、キム・ヨンサム前大統領)から見放された「野党」に転落した。両金氏が手を取合って与野党の政権交代を成遂げると意気投合しているところへ、敢えて止められるようなことでもなかった。

その時、両金氏は、99年末まで内閣制に向けた憲法改正を行い、新しい政府のもと大統領および首相の選択において自民連が優先権を持つことで合意した。要するに、2年後の「実権を握る首相」にはJPが就くということであった。

当時の韓国人の中で、この合意が守られると信じた人はどのくらいいただろうか。おそらく殆どの人が守れるはずのない約束として受止めていたことだろう。当の両金氏でさえ合意の履行について確信を持っていたかどうか疑わしい。「苦労の末やっとのことでのぼりつめた政権なのに、たかが2年で譲れるものか」といった原色的な論理まで持出さないまでも、野党が反対する状況の中での内閣制改憲は、初めからJPが抱いた「願望」にすぎなかったのである。

「政治9段」の両金氏がその程度のことに気づかなかったはずがない。しかし、両金氏は合意文に署名をした。DJは、何より「忠清(JPの地元)票」を得るのが急務だったはずで、JPは改憲が実現しなくても「半分の権力持分」という保険に入ったようなものだから、断るほどのことではなかったはず。そういえば、99年7月DJPが内閣制改憲を見合わせることで合意したのは、事実上予期された手順を踏んでいたとみることができる。

その後の過程を長々と並べるまでもないだろう。ただ昨年4月、総選挙を控えて野党を宣言したJPが今年の初め、再び連立の方に方向転換を図ったのもまた、単なる「票」の結果に従ったにすぎないという点だけは指摘しておきたい。もし、先の総選挙で民主党が過半数を超えているか、或いは自民連が僅か17席という惨めな結果に終わっていないとすれば、DJPが再び手を取合っただろうか。

復活したDJP連立体制が、8ヵ月足らずで破局を迎えた。連立破棄を宣言するしないは、もはや形式上の問題にすぎない。国会での表決に持ち越された瞬間、すでに決裂したも同然のことになってしまった。

DJは、林東源(イム・ドンウォン)統一部長官の辞退問題を「政権の問題ではなく民族の問題」と見ている半面JPは、朝鮮戦争の際戦死した陸軍士官学校の第8期同期生を思い出す。林長官を退かせるのは「生残った者の義務」であると考えているのだ。

妥協し難い世界観の違いである。相反した道を歩んできた両金氏の前には、初めから政略だけでは埋め尽くし難い「イデオロギーの間隙」が横たわっていた。DJP連立が「不安な契約同棲」の限界から離れられない根源である。

それを見抜いていたはずのDJが、命懸けでJPにラブコールを送ったのは偏に「数」のためであった。気が進まないながらも、JPに幾つかの長官ポストを宛がったのも、あらゆる非難を押して自民連に民主党議員4名を渡したのも全て「数」を確保するためだったのだ。野党のハンナラ党を数で抑えなければ何もできないという、切羽詰った思い込みのためだった。

ところが、自民連を巻込んでなしとげた院内過半数というのは、実際「虚構」にすぎなかった。

僅か1席を上回る過半数では、「数の政治」であろうが「パワーの政治」であろうが、本領を発揮することができないのだ。

惜しくもDJは、あまりにも長い時間「虚構の過半数」に拘ったようにみえる。かつて筆者が「苦言」したように、昨年ノーベル平和賞を受賞した際民主党の総裁を退いて、与野党にまたがる大きな指導者としての姿勢を見せていれば、今日のような事態にまでは至らなかったはずだ。遅れ馳せながら、今からでも与野党逆転(野大与小)の現実を淡々と受入れて、正道を進むべきだ。

北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記のソウル訪問にかける努力の半分だけでも野党の方に投じれば解決できないことはないだろう、とする与党内の少数意見にも耳を傾けなければならない。

DJとJPが手を取合った時、破局はすでに予期されたものだった。ともに歩いていくには、あまりにも長い間別々の道を歩んできているのだ。

チョン・チンウ(論説委員)



全津雨 youngji@donga.com