
1985年8月、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開かれた南北赤十字会談に参加する韓国側代表団が平壌に到着した。北朝鮮側は、韓国側代表団に当初約束していた学生少年宮殿の見学日程を急に変更し、牡丹峰(モランボン)競技場に案内して10万人の観衆の前で、北朝鮮の体制を宣伝する内容のマスゲームを観覧させた。
今回も北朝鮮は、「8・15民族統一大祝典」という名の行事を開き、韓国側訪問団を相手にした16年前の政治ショーの再演した。
今回の平壌事態は、我々にいくつかの本質的な問題を考えさせる契機となた。
第一に、北朝鮮はやはり変わっていなかったという事実だ。北朝鮮は、韓国側代表団に2万人の平壌市民が待っていると言って「祖国統一3大憲章記念塔」での祝典開幕式への参加を促し、金日成(キム・イルソン)主席の生家である萬景台を案内した。韓国側訪問団内部に行事参加への意見の相違があることを知っていた北朝鮮が、このような欺瞞術策を計ったことは、対南統一戦線戦術に基づく分裂策動と言える。
北朝鮮が、口を開けば「6・15宣言」の精神を尊重せねばならないと主張しつつも、このような民間行事まで、対南工作や統一戦線戦術に利用するということは、首脳会談以後も北朝鮮に変化がないことを克明に示している。現在、北朝鮮の対南姿勢は、韓国当局に対する非難姿勢を除く他の分野で、首脳会談以前の状態に回帰した感は否めない。
第二に、政府が対北政策を急ぐあまり、今回の事態を招いたという事実だ。政府が当初、北朝鮮側の悪用を憂慮して、民間団体の訪北に許可を下さなかったことからも分かるように、今回の事態は事前に予見されていた。にもかかわらず、政府がわずか24時間後に訪北への立場を変え、覚書も形式的に数人に書かせただけで、訪問団を性急に送った背景は何か。それは当局間の対話が断絶した状況で、民間団体の交流までも断たれた場合、金正日(キム・ジョンイル)総書記の答礼訪問が困難になるとの判断による、金総書記の答礼訪問の環境づくりへの焦りからだったと見られる。
第三に、韓国社会の親北勢力の理念的離脱現象が危険なレベルに達したという事実だ。平壌で突出行動に出た「統一連帯」側は、今回の事態について「祖国統一3大憲章記念塔」行事参加は問題とはならないうえ、連邦制統一案を不穏視してはならず、国家保安法は撤廃されねばならないという立場を明らかにした。
しかし統一塔は、北朝鮮が「高麗連邦制」統一案を記念して作った象徴物であり、その「高麗連邦制」は対韓国赤化に向けた統一案だ。よって統一塔行事参加や連邦制主張は、まさに北朝鮮の統一案への同調を意味するものであり、中でも国家保安法撤廃は「高麗連邦制」主張に盛り込まれた主要内容の一つだ。
さらに金主席の生家である萬景台芳名リストに「萬景台精神を受け継ぎ統一偉業を達成しよう」と記した事実は、金日成の主体思想による統一主張でなくしてなんであろうか。また「労働者階級が先頭になって、祖国の自主的統一を早めよう」というのは、プロレタリア中心の社会主義社会の建設を標榜する北朝鮮の論理ではなかろうか。「歴史の足跡を目撃した」というのは、金主席の革命伝統に感銘を受けたということではないのか。
このような事実にもかかわらず、「統一連帯」側が過ちを悔やむどころか、詭弁を弄して正当化に汲々する態度を呈することは、自由民主主義理念からの離脱や大韓民国の正体性を脅かす重大な行為であると言わざるを得ない。
ならば今回の事態をどのように処理すべきであろうか。政府は無条件に対北支援を行いながらも、その度に北朝鮮に利用され、ひいては韓国内部の葛藤現象までももたらした対北政策を前面的に見直さなければならない。安易な対北認識を基に拙速に訪北許可を下し、金総書記の答礼訪問にこだわる姿勢から脱却せねばならない。.
あわせて今回の事態に対する責任追及が、実務レベルではなく、政府高官レベルで行われるべきだ。一部の訪問団員らの違法行為も明確に見極め、刑事処罰などの応分の措置を講じなければならない。にもかかわらず、政府が北朝鮮を刺激して金総書記の答礼訪問に影響を与えることへの憂慮から、今回の事態をうやむやにするならば、国民の支持を失うことはもとより、南北関係にさらなる悪例を残す結果となるであろう。
ソン・ヨンデ(淑明女子大学教授、元統一部次官)






