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社会主義でないならば

Posted August. 11, 2001 10:27,   

一国の副首相まで務めた学識高い方の主張に口出しするのはが恐れ多いが、ハンナラ党金満堤(キム・マンジェ)政策委員会議長の「社会主義論」には賛成しかねる。

金議長が根拠として示した事例のうち官治金融は、副首相在任時代にも厳然と存在していたが、誰も当時の政権を社会主義政府と呼ばなかった。公的資金問題ひとつとって見てもそうだ。金議長が副首相だった時に通貨危機にみまわれたならば、公的資金に頼らないで不健全な金融機関を救済するための資金をどのように捻出しただろうか。

果たして他の妙薬があっただろうか。

当時の金泳三(キム・ヨンサム)大統領は「持つ者に痛みが伴うということを示したい」と言ったことがあるが、これは社会主義はおろかファッショ国家、警察国家を連想させる空恐ろしい発言だった。

記録を振り返ると、このように歴代政権の主体が枚挙に暇がないほど頻繁に社会主義的言行を取ってきたにもかかわらず、不思議なことに、当時そのような政府を社会主義政権と批判した人はいなかった。

では、いまの「国民の政府」時代に入って社会主義論争が巻き起こっている理由は何だろう。強く否定しているにもかかわらず、殆どの企業経営者たちが政府の政策を不安と疑いの目で見ている理由を与党は知っているだろうか。

論拠不足にもかかわらず、野党のイデオロギー攻勢が現実には世論に受けいれられている状況が何を意味するかについても与党は関心を持たなければならない。

庶民層が支持基盤であるとする新千年民主党(民主党)は、同じ言葉を使い、同じ言動を取るとしても、過去の政権の時とは異なる反響を起こしかねない。ましてや、現政府が持つ者の負担を前提とした社会福祉政策を拡大しているようでは、この不慣れな環境に伴って論争が起こるのは必然的だ。

その過程で、説得する努力が政府与党に以前にも増して求められたが、前例のないほど攻撃的な性格の強い与党は、野党と世論に対してそのような態度は取らなかった。ただでさえ政府の政策は市中で純粋性が疑われているのに、与党がそのような態度を取ったのでは、社会主義論争を自ら招いたと言われてもしかたあるまい。

さらに一歩踏みこんで言えば、昨今の論争が単に誤解によるものだとする与党の主張も、まだ多くの疑問が残っていることから大衆の共感を得るのは難しい。

必ずしも対称の概念ではないが、社会主義より資本主義経済制度が相対的により効率的で優越であるというのは、すでに世界経済史が立証したところだ。勝者が全てを手にする市場覇権主義が弊害と指摘されているのも確かだが、まさにその点が達成意欲を刺激し社会を発展させるという点から、資本主義への人類の信頼はより厚くなった。

企業経営者達が最近、いても立ってもいられないのは、まさにそのような資本主義の特性が「均等主義」を掲げた政府によって色褪せてきていると感じているからだ。

企業経営者達は、市場経済の基本原理を基準にして見ると、多くの経済政策が反資本主義的だと主張するが、ここでその分析の是非をニ文法的に分けるのは不毛な論争になるだけだ。しかも、その論争は政権にも決して有利にならない。重要なのは、経済主体である企業がそのように感じているという事実だ。

資本主体に当たる財団の地位と権限を相対的に弱める私立学校法や市場支配的マスコミを対象とした改革論争もそうだが、ある日突然、前進配置された公正取引委員会に象徴される企業規制は、市場で理念論争を起こすに充分だ。

企業経営者らが特に気になるのは、そのような類の政府の政策に対して一部の市民団体がその妥当性を支持しているという部分だ。理念的に企業の正反対の座標に位置する市民団体のそのような言動は、政府と事前の交感があったか無かったかにかかわらず、沈黙する多数に不安と抵抗感を与えるという点で政府としても得ではない。

市場の上に企業規制で武装した政府が君臨するならば、その経済体制はこれ以上資本主義とは言えない。いかなる言い分、いかなる方法であれ、私的財産権が制約され平等主義が蔓延すれば、企業意欲はうせ、経済力は弱まるだけだ。経済が活気を失えば、世の中は最も平等になり、与党はこれ以上社会主義論争の悪夢に苦しむ必要はなくなるだろう。政権党が望むのは、このことなのか。そうでないならば、今政府与党が何をすべきかは、当事者が熟知しているだろう。



李圭¥¥¥敏 kyumlee@donga.com