
最近、ソウルのある予備校で、父兄を対象に2002学年度の大学入試関連のセミナーが開かれた。「父兄が対象」ではあったものの、100人余りの参加者の100%が、現在の韓国社会での教育における総括的な主体であり、実体的勢力である母親達であった。
「お母さん、まず車から売ってください」
最初に「主題発表」に出た学院の先生がこう言い出した。参加者達が笑うと、先生は開き直って言った。「命懸けで頑張らなければなりません」と、ひき続き登場した先生が付け加えた。「車だけ売っても足りません。50坪のアパートを30坪にするべきです。たかが中古のグレンザー(韓国の高級大型車の名称)一台を売ったとしても、何ヵ月分の月謝(予備校の)になると思いますか?」
科目別の各論で国語の先生が言った。「国語は理解ではなく暗記であります。絶対、子供に問題を解けとは言わないでください。解く時間がありません。私が問題を選んであげますから、それを暗記させてください」参加者が「幅広い読書が必要だと言われましたけど・・」と言うと、先生はきっぱりこう答えた「本を読む時間はありません。国語の問題は頭ではなく目で解くものです」
数学の先生も言った。「子供は叩くべきです。1週間叩かないと、誰一人、数学の問題を解こうとはしません。学院の鞭は実力の諸雇用なんです」英語の先生は「英語とは選別した問題を暗記するものだ」と強調した。
続いて主要大学の入試要項と「中間考査に備えた問題集」を配った。問題集にはここ数年間、周辺の学校で出題された問題と出題傾向を分析した内容が盛り込まれていた。先生が付け加えた。「我々は数十年間の問題用紙を全て持っています。教育過程が変わり、試験が変わるとも言いますが、そう多くは変わるはずありません。考えてもご覧なさい。高校過程はあくまでも高校過程に過ぎません。大学過程を高校で教えるはずがありますか?」
参加した母親達で2次セミナーが開かれた。母親達は予備校側の「ネガティブ戦略」を知っていながらもセミナーの内容が「正しい」と思い、学校と予備校の違いについて話し合った。そのギャップは空しい言葉と厳しい現実の乖離でもあった。「学校は共同心、全人教育、読書、音楽鑑賞などの重要性を言葉として強調します。予備校は現実を直視し、必ず必要なものだけを『選別して』くれました」「人間性の教育と細心な心遣いも予備校の方がましです。一日でも欠席すれば家に電話してくれる所は予備校であって学校ではありません」
ある母親は高校生の息子に「あの予備校の数学の先生のファンクラブを作ろう」と言った。息子が答えた「少なくとも勉強に関する限りは、予備校の方がより細かく気を遣ってくれます。かといって学校が生活面を配慮するとは言えません」
教育人的資源省は17日、大統領に対する業務報告を通じて、塾や家庭教師の授業料と早期留学及び教育移住の増加など、公教育の崩壊現象による危機を克服するために、「理想的な学校のモデル」を持ったモデル学校の運営、学級当たりの学生数の削減、教師への海外研修の拡大などの対策を講じた。改善策が成功することを希望しているが、実際、改善に成功するかどうかは未知数である。我々の教育問題は今や、政策の良し悪しを越え、全国民の総体的な意識と文化の問題として転移してしまった。誰もが教育が問題だとは口を揃えながらも、一方では教育改革には本能的に抵抗するためである。「教育戦争」が長くて退屈な忍耐力の戦いである理由がここにあるのだ。






