
またしても1年が暮れる。いつもの事ではあるが、今年も多事多難な一年だった。新たな世紀、新たな千年を迎える年と言う事で、期待をかけていたからよかったものの、そういう気持ちでもなかったら耐えられないほど、大変な一年だった。南北分断史上初めて行われた南北首脳会談や、韓国人としては初めてノーベル賞を授賞したキム・デジュン(金大中)大統領のノーベル平和賞受賞が唯一の慰めだったと言えるだろう。これらの事がなかったら2000年は、まさに国政混乱と国民の苦痛で一貫した一年として記録されたはずだ。
一言で言えば、乱世だったといえるが、その乱世をもっとも実感できた事件は、整理されていない医薬分業実施による混乱だった。医薬分業の関係者らは5ヶ月以上も事態を解決できず、社会全体に疲労感を与えてしまった。しかし、この混乱を招いた張本人である政府の葛藤調整能力は、ゼロに近く、この問題に関する限り、またこの時期に限っては、政府と言う存在が全く感じられないほど無能だった。世論の批判で何とか解決の局面を迎えた事は幸いだった。
銀行と金庫を中心とする大規模な金融不正事件が発生した事も、乱世の雰囲気を一層深くした。「チョン・ヒョンジュンゲート」と「チン・スンヒョンゲート」がその象徴的な事件であるが、真相は依然として明らかになっていない。権力の庇護がなければ絶対不可能だったはずの不正が、有耶無耶処理されるところを見た国民は、「この国ではいくら政権が変わっても、いくら新たな千年と世紀を迎えても、法律も正義もその力を発揮できないのだ」と挫折してしまった。しかも、これらの事件により、金庫といえばみな乱脈経営をしているという印象を与え、既存の預金者は預金を引き出し、結局は多くの金庫が相次いで破産する結果をもたらした。その結果、金庫に預金していた多くの庶民は、大事な貯金を引き出せず混乱を招いた。
しかし、何よりも国民が乱世を実感したのは、国民経済の大きな動揺であろう。経済指標からすると堅実に思えるかもしれないが、一般庶民が感じる景気と経済、いわゆる体感景気と体感経済は、まさに殺人的だとあちこちで騒いでいる。その騒ぎは、景気低迷の中で、もう一回あるだろうといわれているリストラ、つまり失業者量産の時期を迎え、一層高まっている。
さらに、国民を惨澹な気持ちにさせるのは、これまでリストラのために投入した公的資金が実際は、底無しの壷にいつまでも水を注いでいたようなものだったっという分析があったからだ。ところが、70兆ウォン近い金額が煙のように消えたにもかかわらず、またもや公的資金を投入すると言うのが政府の基本方針だ。公的資金といえば聞こえはいいかもしれないが、実際は国民の血税、つまり未来の負債である。リストラのための労使妥協というのも殆どは裏面契約があるので、実質的には何の効果もないという分析だ。こんなことで一国の経済が成り立つのだろうか。事態がこうなっても誰も責任を取ろうとしないから、国民が余りにもかわいそうだ。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との交渉での弱腰も、警察の人事波紋も、検察の無気力も、相次ぐ集団抗議での無原則な収容も、国民を失望させる者ばかりだった。
民心の離れは当然といえるかもしれない。それで思い出したのが政界改編の模様だ。創立1周年もたってない新千年民主党に自由民主連合とハンナラ党の一部を合わせ、新たな党を創立すると言うことだが、その魂胆が丸見えだ。新年になると1年後に迫った次期大統領選挙で再執権をとるためには、いまの与党では大変そうだから、人為的に政界改編をし、突破口を開こうとしたのである。これに同調しようとするハンナラ党の一部の政治家らも、くら替えをしなければ大統領選挙に出馬できないか、次期政権に参加できないという計算で、衣更えの道を探そうとしているのだろう。
国政の一大混乱で民生が危機に直面している中でも、政治家は大統領選挙と権力参加だけに気を使って野合しているような印象を与えているのは、健全な形ではない。野合して作り出した政党には希望がないからだ。私たちは、これまで何回もそういう例を見て来た。したがって、大統領府と与党の一部で政界改編説を強力に否定しているのは、幸いな事であり、当然でもある。旧時代的、旧世紀的な野合は2000年と共にこの世から去るべきだ。再集権は忘れ、目の前の難局の打開にだけ臨んでほしい。そうすれば何か解決策が見えるはずだ。






