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[社説] 永遠の文学青年・未堂

Posted December. 25, 2000 20:19,   

한국어

詩人‘未堂’こと徐廷柱(ソ・ジョンジュ)氏が、雪の降る聖誕前夜に静かに私達のもとを去った。9月に亡くなったファン・スンウォン氏に続き、私達はまた文壇の巨星を失った。小説と詩で韓国文学の地平を開いた二人の他界は、私達に文壇の一つの時代が幕を下ろしたような寂しさを感じさせる。

未堂は病魔と戦いながら「60年間も働かせた心だ、心臓が痛まないわけがない」と話していたという。その言葉どおり、未堂は広い心で半世紀以上も韓国の土俗情緒を詩によって映し出し、私達の生に豊かさを与えてくれた。

彼の残した1000編以上もの詩は、韓国語がこれほど美しい言葉なのかということを気づかせてくれた。多くの人たちの愛誦詩となった『菊の前で』をはじめ、何編もの詩が教科書に掲載され、国民の中で彼の詩を諳んじなかった者はいないほどである。

未堂の詩の世界を語る時、彼の知的エネルギーについて触れないわけにはいかない。彼は一つの詩の世界を作り上げては、また別の詩の世界を探し続けた。彼が普段から数多くの場所を旅行し、7回もロシアに留学したのは、まさに一つの世界に安住しない彼の勤勉さを物語っている。これは後進の文人たちにも一つの励みとなった。

彼には常に「純粋に文学にだけ専念していたらよかったのに」という評価が付きまとう。日本統治下、何編かの親日詩を書き、5共政権発足に協力したことに対して言われる話である。

彼はこれについてあれこれ弁明をしなかった。むしろ率直にこれを認めた。そしてこれに縛られることなく、さらに活溌に活動することで許しを求めた。故人のこのような激しい創作精神は、彼を「韓国人にとって最も親しみのある詩人」にするのに十分だった。栄辱を越え、彼が私達に残していったものは、はるかに多大なものだ。

世相が混濁する時、一編の詩がくれる感動は大きい。未堂はそんな時代の度に珠玉の詩によって私達を泣かせ、笑わせてくれた。ともすれば現在はそんな一編の詩が恋しい時代である。だからだろうか。彼の残した空白がどんな時代よりも大きく見え、この空白を誰がどう埋めることができるのか、虚しい気持ちになってしまう。

未堂の文学精神を讃えるために、わが国の文壇に何ができるのかをともに考えるのは後輩たちの役目である。