国内の宗教家たちによるダライ・ラマ招請計画に対し、明確な立場を明らかにしてこなかった外交省が昨日、最終的に「訪韓は許可しない」という方針を明らかにした。本欄はノーベル平和賞受賞者であり、世界的な宗教指導者であるダライ・ラマの訪韓は、外交問題とは直接関係ない純粋な文化的行事であるがゆえに、必ず実現させなければならないと主張してきた。この外交省の表明によって、11月16日に予定されていたダライ・ラマの訪韓が霧散したことに対して、我々は大変遺憾に思う。
外交省のこの結論を下すまでの苦悶を理解できない訳ではない。ダライ・ラマは、現在中国 領土であるチベットの独立を要求している人士である。彼の訪韓を許容した場合、中国の気持ちを逆なですることにもなり兼ねない。我が国にとって中国はかなりの貿易黒字を出している国であるため、外交関係が悪化した場合の経済的なダメージも心配せざるを得なかった。事実、中国側はダライ・ラマ訪韓計画に露骨に嫌な顔を見せていた。
しかしダライ・ラマは中国と外交関係を結ぶいくつかの国を訪問したことがあるため、外交省にとって訪韓を食い止めるだけの名分は無かったのも事実だ。
外交省は一時はダライ・ラマの訪韓を許可する方針を打ち出し、長官が直接中国側に了承を求めた経緯もあり、外交関係などの実利的な側面と名分との間で、決定の直前まで苦しんだのは明らかだ。
それを承知の上で、我々が外交省の決定に失望したのは、その決定が結果的に人類の普遍的価値をないがしろにしているからだ。どんな名分も、人と人との自由な出会いを邪魔することはできない。ダライ・ラマの訪韓に政治的な意図が隠されていると仮定しても、国内に彼と会いたがっている人々がいる限り、誰も彼の訪韓を邪魔することはできないのだ。
しかも、この訪韓は純粋に文化的な目的であり、それ以上でもそれ以下でもない。ダライ・ラマはこの数十年間で世界各地を訪問し、慈悲と受容、愛の思想を伝えて深い感動を人々に与えてきた。今まで彼に会う機会のなかった韓国の人々が、彼を招待してその霊的な世界に耳を傾けようというのだ。
彼を召請した訪韓準備委員会が宗教家や市民団体などの純粋な民間レベルで構成されていることだけでも、この事実は簡単に立証できる。従って政府がこれを防ぐことは、行き過ぎた干渉であると同時に、国民に与えられた文化的権利の侵害だといえる。国家的に見れば、自ら文化主権を放棄するという屈辱的な姿であるに違いない。
最近、中国に対する我が国の外交姿勢は、一貫して低姿勢だ。相手がいくら強大国で、経済的に重要な国だとしても、押し通すべき時は堂々と押し通すべきだ。今回の出来事は、人的交流や文化交流など人類の普遍的な原則が壊された事例といえる。
外交省は「適切な時期に訪韓が実現できるように検討する」と発表した。しかし今までの煮え切らない態度では信頼できない。当局にとっての「外交的に適切な時期」とは果たしていつなのか。それをはっきりと説明する必要があるのではないだろうか。






