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[社説]大統領の考えと発言、心もとない

[社説]大統領の考えと発言、心もとない

Posted May. 28, 2004 22:54,   

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一昨日の延世(ヨンセ)大学の特別講演で露になった盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の考えと認識は、正直言って心配だ。国会の弾劾訴追で63日間の職務停止を経験し、自らも「勉強になった」と言ったものの、変わった点はあまりないように見えた。依然として世の中を主流と非主流に分けて見ているようであり、野党を刺激する発言も我慢できないようだった。このような姿に、多くの国民ががっかりしたことだろう。

無論、共感できる部分もなくはなかった。貧しい中でも並々ならぬ信念と勤勉で志を成し遂げた個人史の話は、若い学生たちに感動を与えた。謹厳だった歴代の大統領とは違って、特有の直説的な話法から、学生たちは脱権威主義の時代を実感しただろう。

そうだとしても、大統領の基本認識は憂慮される。保守と進歩に関する言及が、端的な例だ。大統領は保守を「力の強い人が思い通りにする、競争で勝った人にほとんど全ての補償を与える、適者生存を徹底的に適用すること」と考えた。保守は「なるべく変化はやめよう」というもので、「合理的な保守、温かい保守、少し変わった保守であっても、変化を好まない」というものだと定義した。一方進歩は、「ともに生きる、人間はどうせ社会を作って暮すようにできているのだから、共に生きよう」というものだと言った。

一言で言って不適切な説明であり比喩である。大統領の論理通りなら、保守は悪で進歩は善になる。既得権を守ろうとする利己的な人々は保守で、ともに生きる共同体を夢見る人々は進歩になる。陳腐な保革論争を離れ、一国の最高指導者がこのような認識を持っていたなら、国民統合を期待することは難しい。健全かつ合理的な保守は排除の対象ではなく、我々が追求しなければならない価値である。逆に、進歩がドグマに陥った急進的進歩なら、排除の対象であるだけだ。大統領なら、両者をまとめなければならない。

共生に関する言及も失望させられるのは同様だ。「対話と妥協の文化が共生だが、相手に譲歩させるために、(相手を)攻撃するために共生を掲げるならば、必ず失敗する」と言った。納得し難い説明だ。口では共生を言うが、内心は相手に決して屈服しないという戦意があるように見受けられる。見方によっては、野党に向けて「金爀珪(キム・ヒョクキュ)首相」カードを突きつけるという宣戦布告に読まれもする。ハンナラ党が反発するのも無理はない。弾劾が棄却された時、盧大統領は共生と和合の政治を実施すると約束した。しかし、これが果して共生の政治なのか問わざるを得ない。

経済に対する認識も安易だという印象を拭えない。ある勢力が改革のメスを避けるために危機を誇張しているという認識が、そのままあらわれたためだ。「私がいる間は、経済に問題はない」と言ったが、政権1年の成績表は、3.1%の成長、3万の雇用減少ではないのか。経済危機の本当の原因は、大統領のこのような認識にあるという指摘に耳を傾けなければならない。

このような思考と認識では、国民を一つにすることもできず、安心させることもできない。今日の葛藤と分裂の様相、政争、経済危機の原因が何であるのか、大統領は謙虚な心で洞察してもらいたい。