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[オピニオン]If only

Posted February. 21, 2003 22:07,   

「息子が私を助けようと飛び込んで来なかったら・・・」。「地下鉄に乗るという娘を止めていたら・・・」。「放火容疑者が病院で騒ぎを起こした時に入院させていたら・・・」。大邱(テグ)地下鉄放火事件で亡くなった犠牲者を悼む話が私たちの心を痛ませる。犠牲者たちこそ最も可哀相で惜しまれるが、生き残った人たちも、やはり死ぬほどの深い苦痛を経験した。とんでもない惨事に遺族らは、「…していたら」事故を避けられたのではないかという後悔と痛恨、そして亡くなった人に対する罪悪感に胸を痛ませている。事故生存者が経験するこうした心理的な苦痛を「if only(もし・・・だったら)」症候群という。

◆01年米国世界貿易センターを襲った同時多発テロの直後にも「if only」症候群で多くの人が泣き悲しんだ。9月11日の朝、些細なことで夫と口げんかをして“グッバイ・キス”も交わさなかったという妻はセラピストを訪れて、「あの時、愛しているという言葉だけでも言っていたら、こんなに胸を苦しめることはなかっただろうに」と語った。約束の時間より早くビルに着いたばかりに同僚を失ったサラリーマンは、「もう少し遅く出発していたら・・・」と言いながら涙を飲んだ。米国の「精神的ショック・ストレス研究のための国際協会」の設立者であるヤエル・ダニエルリー博士は、「理性的に見て予見できない、事前に統制できない事故であるにもかかわらず、生存者は自分が違う行動をしていたら犠牲者が死ななかっただろうという罪意識に苛まれる」と述べた。

◆「if only」の傷を克服する方法として、専門家は「意義を探す」ことを上げる。広島で生き残った人々が、恐るべき原爆の被害を人類歴史上初めて経験したことに意義を見つけ、苦痛を乗り越えたのが一つの例だ。広島生存者を研究したハーバード大学の精神科医師ロバート・リプトン博士は、「彼らは原爆の危険性を広く知らせることで、罪もないのに負わされた個人の苦痛をより大きな人類愛で昇華させることができた」と語った。

◆米国の同時多発テロは、それなりに明らかな理由を持つテロリストによって行われた攻撃だが、大邱地下鉄の放火による惨事は違う。火災直後、地下鉄公社が直ちに適切な措置を取っていたら、1080号車の機関士が直ちに電車のドアを開けていたら、社会安全システムが明確に設けられていたら、罪もない人たちが命を落とすことはなかったかも知れない。「if only」の苦痛は、遺族が負うべき苦痛だとすれば、乗客の安全に責任を持つべき地下鉄公社は、そして政府は「if only」を口にする資格はない。もう二度とこうしたことが繰り返されないよう、徹底した対策を設けることが大邱の犠牲者から「意義」を求める術だ。

金順鄹(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com