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「セルフ偶像化」した金正恩氏、高強度の対南挑発

「セルフ偶像化」した金正恩氏、高強度の対南挑発

Posted May. 09, 2024 08:58,   

Updated May. 09, 2024 08:58

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2011年12月。27歳の青年金正恩(キム・ジョンウン)氏は、父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記の霊柩車を追いかけた。緊張した顔で涙を流していた正恩氏に対して、当時、韓国当局は「速やかに元老たちを掌握し、全権を振るえるかどうか疑問」と指摘した。

10年が経った2021年、北朝鮮の労働新聞は、正恩氏を「偉大な首領」と呼んだ。「首領」は正恩氏の祖父である金日成(キム・イルソン)主席に付けられる、事実上の固有名詞だ。正恩氏が父親の金正日総書記を超え、金日成主席のレベルに立ったことを自ら宣言する象徴的な場面として認識された。当時、国家情報院は、「北朝鮮では『金正恩主義』を新しい独自の思想体系として定立する試みがある」と話した。先代の影から抜け出そうとする正恩氏の振舞いを総合してこのように判断したのだ。

ただ、その後の正恩氏の発言、行動から先代の痕跡が完全に消されたわけではない。特に、後継者指名当時から金日成主席の体型やヘアスタイルまで模倣した正恩氏は、最近まで「真似」を止めなかった。

時はまた流れ、2024年。正恩氏は静かに、しかし果敢にもう一歩踏み出した。北朝鮮の官営メディアは正恩氏を「太陽」と呼び始めた。太陽は金日成主席を指す表現だ。金日成主席の生家がある万景台(マンギョンデ)も、「太陽の聖地」の代わりに「愛国、革命の聖地」などと、メディアは言い換えた。正恩氏は先月の「金日成生誕日」に、金日成主席の遺体が安置されている  錦繍山(クムスサン)太陽宮殿も訪れなかった。最近会った政府当局者は、「正恩氏が今、祖父より自分が前にいると叫んでいる」と解釈した。

2021年、「金正恩主義」という表現が初めて登場した時は、正恩氏が経済難打開のために戦略的に自身を偶像化したという分析が多かった。新型コロナウイルス感染症の影響で食糧難が深刻化すると、住民の怒りを抑えるために正恩氏が苦肉の策のカードを取り出したというのだ。

最近の一連の流れは当時とは少し違う。正恩氏に対する偶像化はより大胆になり、先代に対する神格化はより果敢に遮断されている。このような流れで目立つ変化は、正恩氏の自信だ。政府当局者も、「最近、堂々とした正恩氏の『独り立ち』ぶりは数年前の姿とは明らかに違う」と話した。この自信は、新型コロナウイルスの封鎖が解除され、改善された食糧事情のためかもしれないし、朝ロ関係の緊密化の副産物であるプーチン大統領の熱烈な支援のおかげかもしれない。

正恩氏の「セルフ偶像化」は、韓国との関係に少なからず影響を与えるに違いない。太陽を自称する正恩氏は、韓国への攻勢的なカードを連発するだろう。韓国をそれでも「同族関係」と見ていた先代と差別化するためだ。正恩氏はすでに南北を「敵対的な2国間関係」と規定し、事実上の宣戦布告までした。これを大義名分に強烈な挑発に乗り出すと共に、内部的には大韓民国を敵対国とみなす政策・教育に集中するだろう。韓半島を中心に展開される新冷戦の気流は、正恩氏の心をより楽にしてくれるかもしれない。

北朝鮮の露骨な対南路線の変化に対応するのは、政府の課題だ。まずは冷静に正恩氏の新しい言説を分析する必要がある。その後の対応は断固として躊躇がないようにしなければならない。北朝鮮の体制・政策変化の流れの序盤で正面勝負の代わりに傍観した時、どのような代償を払ったか、私たちはよく知っている。