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陵、墓、銃

Posted April. 01, 2023 08:33,   

Updated April. 01, 2023 08:33

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花盛りだ。きびしい暮らしをしながらも、花を見ると気分がよくなる。きれいでない花がなく、立ち止まって花の写真を撮る人たちを見るだけでもわくわくする気持ちが移りそうだ。ちょっとだけでも春の遠足に行ってこなければならないような雰囲気だ。

この詩にも散歩に出た2人が登場する。彼らは懿陵(ウィルン)を訪れた。ソウル城北区(ソンブクグ)にある景宗(キョンジョン)の墓は王のものではなく、自然を楽しもうとする市民のものになって久しい。墓を見に行く人より土の匂いと草の匂いを求めて訪ねる人がはるかに多い。それで詩の中の二人も墓を見ずに花木だけを見てきた。また、花の木を楽しむ家族を思い出した。そして美しい風景の中に私のものはなく、将来にもないという事実を確認している。

若い父が幸せそうに笑って、息子に木の名前を教える姿はとても理想的だ。私たちはそういう場面を簡単に想像できるが、簡単に自分のものにすることはできない。父親になるためには多くの費用が必要であり、笑うためにも多くの費用が必要であり、幼い息子と時間を過ごすためにはさらに多くの費用が必要だ。良いことを知っているし、美しいことを知っているのだが、それをあきらめなければならない心が痛い。時がくればよくも花を咲かせる木が羨ましくなる春だ。