Go to contents

ヒトラー流の扇動術

Posted March. 21, 2023 08:22,   

Updated March. 21, 2023 08:22

한국어

1919年9月12日、ドイツ・ミュンヘンのあるビアホールで、ドイツ労働者党集会が開かれていた。党名は大仰だが、小グループに過ぎない集団だった。それでも監視と動態把握のために、軍から派遣されたスパイが参加していた。そのうちの1人が、アドルフ・ヒトラーだった。

ヒトラーは、単なるスパイではなかった。軍情報隊の責任者だったカール・マイヤー大尉は、耳を傾けるレベルの情報収集ではなく、組織に入って有能に活動し、大衆扇動もできる要員を養成しようとした。マイヤーは、選抜した要員をミュンヘン大学に送り、基礎的な社会科学の勉強とスピーチ教育をさせた。そのプログラムで優れた能力を発揮したのが、ヒトラーだった。

その日の講演者は、ミュンヘン大学でヒトラーを教えた教授だった。聴衆の反応は冷ややかだった。ヒトラーは、より冷ややかにもどかしく感じていた。彼が席を離れようとした時、他の教授が登場して色々な主張をした。ヒトラーは憤り、飛び出して、ひとしきり熱弁をふるった。ヒトラーの演説を聞いていた労働者党の代表は、直ちにヒトラーに駆けつけて党に加入してほしいと要請した。そうして政治家ヒトラーの人生が始まる。

商業中学校中退の学歴しかないヒトラーは、名演説家として定着し始めた。ビアホールでのスピーチは有名になり、後に何千人もの人々が集まった。熱狂的な支持者を得たヒトラーは党を掌握し、1934年には国を掌握した。5年後は、欧州とソ連を掌握するための戦争を始める。

ヒトラーの演説は、何が特別だったのだろうか。ヒトラーはいくつかの原則を提示する。「大衆の心の中にある希望を読んで、彼らの言語で話しなさい」。「指導者が信念に満ちた姿を見せれば、大衆は従う」。この恐ろしい理論を、ヒトラーは自ら証明した。一例として彼は、「世の中を分けた二つのイデオロギー、資本主義と共産主義も、いずれもユダヤ人が作った陰謀だ」と説明した。

「ユダヤ人さえいなくなれば、戦争や貧富の対立、風紀の乱れに破廉恥犯まで消える」。人々はこのような言葉を信じるだろうか。多くの大衆が信じた。今も信じられている。ユダヤ人の代わりに他の単語を入れると、即効で現れる。このような扇動術は、ヒトラーだけの作品ではない。歴史の中に、世界中にある。ヒトラーは成功事例の一つに過ぎない。