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「こどもの日」米国で考えた韓国教育

Posted May. 12, 2025 08:55,   

Updated May. 12, 2025 08:55


「君たちはいいね」

韓国のこどもの日があった先週、ニューヨーク・マンハッタンのある公園の前を通り過ぎる際、走り回る子どもたちを見て独り言が出た。最近のニューヨークは気候が暖かくなり、街路樹の葉っぱの数と同じくらい、屋外に出てくる子どもたちが多くなった。幼稚園児から高校生まで、同年代の友達と遊び、幸せそうにしている姿に微笑ましさと同時に、どこか寂しい気持ちになった。閑散としているというよりも、静寂とさえ言える韓国の公園、そして自分の背丈よりも大きなカバンを背負い、夜遅くまで塾街を歩く子どもたちの姿が思い浮かんだからだ。

明るく活気な米国の子どもたちを見るたびに、相対的に無表情な韓国の子どもたちと何が異なるのかと考えさせられる。世界最低水準の少子化国家に生まれた子どもたちをもっと大切に育てても足りないはずなのに、青少年の死亡原因の1位が自殺だということだけでも、韓国社会と大人たちは責任を痛感し、反省しなければならない。

両国の子どもたちが置かれた環境は多くの部分で異なるが、決定的に異なることの一つは「試験」と「評価」だ。実は、米国の学校は韓国よりも試験をより多く、頻繁に実施する。教師から州まで、様々なレベルで試験を実施し、絶えず「教育聴診器」を当てている。しかし、子どもたちはほとんど大きなストレスを感じない。小・中・高校のほぼすべての評価が、韓国とは異なり「相対評価」ではなく「絶対評価」だからだ。

韓国の試験は、絶えず自分自身の発展よりも他人との比較優位を要求する。学生時代ずっと緊張と焦燥感の中で、隣の友人を意識させる構造だ。米国は反対だ。むしろ学校で重視するのは、隣の友人に勝つことではなく、一緒に行うことだ。美術作品の制作から数学の問題を解くことまで、すべての領域で「協業」を求める活動が多い。互いの違いを理解し、調整し、共に良い成果物を作ることで、皆でより高い評価を受けることができる。

試験も「序列化効果」は弱い。試験問題は必ず知っておくべき核心的な内容が中心に出題され、弁別力を高めるために奇妙に捻ったり、ディテールを強調する問題は事実上ない。時間制限のない試験も多い。今日解けなければ、明日に解く時間を与えることもある。韓国のように幼稚園の頃から「演算地獄」に陥る理由もない。小学校では電卓を、中学校からは関数電卓を使うからだ。

学校の運営方式や雰囲気も大きく異なる。地域や学校によって少しずつ異なるが、小学校の場合、通常午前8~9時に登校し、午後3~4時まで授業を行う。時間割は国語(英語)、数学、社会、科学、その他とシンプルに構成され、毎日欠かさず基礎科目が扱われる。一日の中で20~30分は必ず全学年が屋外に出て遊び時間を持つ。授業が終わるのが遅いので、放課後児童クラブや塾が特に必要ない構造だ。

韓国の基準で見ると「称賛爆撃機」レベルで教師や親が子どもにエールや励ましの言葉をたくさんかけるのも、米国教育の特徴だ。幼い頃から「よくやった」「大丈夫だよ」「できるよ」「前より良くなった」といった言葉をいつも聞いているためか、全体的に緊張感は低く、自己肯定感が高く、余裕のある子どもが多い。

以前、30年以上海外各国を経験した産業専門家が、韓国の致命的な限界についてこんなことを言っていた。「国別に100人ずつ選び、一人ひとりのマンパワーを比べたら、韓国が圧倒的に1位だろう。しかし、100人の能力を合わせて比較すると、韓国は米国に勝てない」。子どもたちの今日と韓国の未来のためにも、本当に届けるべき子どもの日の贈り物は、新しい教育システムだと感じた子どもの日だった。