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妻殺害容疑で「世紀の裁判」のO・J・シンプソンさんが死去

妻殺害容疑で「世紀の裁判」のO・J・シンプソンさんが死去

Posted April. 13, 2024 08:37,   

Updated April. 13, 2024 08:37

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当代最高の米アメフトの元スター選手で、映画スターとしても華やかに暮らしたが、元妻殺害容疑で起訴され、無罪を受ける過程で米国社会に大きな論議を巻き起こしたO・J・シンプソンさんが10日(現地時間)、亡くなった。76歳だった。

シンプソンさんの遺族は11日、ソーシャルメディアで、「がん闘病の末、この世を去った」と明らかにした。シンプソンさんは約2ヵ月前に前立腺がんの診断を受けたという。

1947年、サンフランシスコのスラム街で生まれたシンプソンさんは、くる病で5歳まで足に装具を着用するなど、不遇な幼少期を過ごした。地元のギャングと付き合った非行少年だったが、脚力に優れ、アメフトに入門して人生の転機を迎えた。米紙ニューヨーク・タイムズは、「NFL(アメリカプロフットボールリーグ)の各種記録を打ち立て、アメフトを全国区の人気競技にしたスーパースター」と評した。85年にNFL殿堂入りした。

逆境を乗り越えた黒人スポーツスターは、ハリウッドでも愛された。大手放送局のスポーツキャスターとして活躍し、映画「裸の銃を持つ男」(88年)などに出演した。落ち着いたイメージで人気を博し、当時は黒人には門戸が狭かった大企業の広告にも出演した。

しかし、94年に起きた事件で人生は一変した。シンプソンさんは、高校時代のガールフレンドとの最初の結婚に失敗し、85年にナイトクラブで出会った18歳のウェイトレス、ニコールさんと再婚した。しかし、92年に配偶者の虐待などを理由に離婚した後、94年6月13日、ニコールさんとその恋人がシンプソンさんの自宅付近で刃物で刺されて死亡しているのが発見された。当時、容疑者とされたシンプソンさんが友人の車に乗って逃走劇を繰り広げる様子がテレビで中継され、米国社会は大きな衝撃を受けた。

その後、シンプソンさんは、「世紀の裁判」で再び米国を震撼させた。血まみれの手袋など様々な証拠が突きつけられたが、「ドリームチーム」と呼ばれた超豪華な弁護団は、米国社会で最もデリケートな問題である人種差別を武器に無罪を主張した。92年のロサンゼルス暴動の影響が残っていた状況は、後押しとなった。シンプソンさんは最終的に、警察の人種差別発言と証拠不十分などを理由に無罪判決を受けた。

シンプソン裁判は、米国の刑事司法制度に対する論争も巻き起こした。当時、陪審員12人のうち黒人が9人ということも、シンプソンさんに有利に働いた。同紙は、「情況はもとより科学的証拠も十分だったが、陪審員は感情に流されて無罪評決を下した」と伝えた。その後、民事裁判ではシンプソンさんが遺族に賠償金3350万ドルを支払うという矛盾した判決も出た。

シンプソン事件は、永久未解決事件となった。シンプソンさんは2007年の告白本『If I Did It』(もし私がやったのなら)で、「ナイフを持ったことは覚えているが、その後は覚えていない」と発言し、再び物議を醸した。シンプソンさんはその後、武装強盗・誘拐事件にも加担し、33年の刑を受けたが、9年だけ服役し、17年に仮釈放された。米紙ワシントン・ポストは、「米国に人種と司法制度に対する論議を巻き起こした問題的な人物」とし、「彼は世の中に捨てられたが、一度もきちんと処罰されなかった」と伝えた。


ワシントン=ムン・ビョンギ特派員 weappon@donga.com