美術の歴史において、女性は長い間、見られるオブジェクトであり描かれる対象だった。見る主体や描く画家は、常に男性だった。しかし、19世紀のフランスの画家ベルト・モリゾは違った。自分ならではの視線で、夫をモデルに絵を描いた。多くの男性画家が妻をミューズにして描いたように。
モリゾは、印象主義グループで活動した3人の女性の1人だ。女性という理由で国立美術学校に入ることはできなかったが、豊かで芸術的な環境で育ったおかげで、個人レッスンを受け画家になった。ロココ美術の大物だったジャン・オノレ・フラゴナールの子孫らしく、23歳の時に初めてパリサロン展に当選して以来、6回も相次いで入選し、画壇に名を知らせた。そしてエドゥアール・マネと親しくなり、保守的なサロン展の代わりに印象派の一員になった。歴史的な第1回印象主義展示会が開かれた1874年冬には、マネの弟ウジェーヌと結婚した。この絵は、結婚した翌年、新婚旅行で出発した英南部のワイト島で製作された。絵の中のモデルは夫のウジェーヌだ。彼も画家だったが、妻がより優れた才能を持っていることを認め、外助の道を歩んだ。画面の中のウジェーヌは、彼らが泊まったホテルの部屋の窓際に立って、外にいる少女と女性を眺めている。少女は船が浮かんでいる海を、母親に見える女性は子供を、ウジェーヌはその女性を見ているようだ。人物の顔はよく見えないが、画家は彼ら全員の視線をとらえ、一つの画面に描き入れた。窓枠の植木鉢の花々が彼らの浮かれた気持ちと幸せを代弁し、絵に活気を加える。
この絵から、男性画家たちが妻や女性モデルを描く時のように官能的な視線は見られない。暖かくて鋭い観察者の目で、海辺のと夫を描いただけだ。実際、家族と母性愛は、モリゾが一生愛情を持って描いた対象であり、男性の同僚画家たちと差別化された彼女だけのテーマだった。ウジェーヌはその後も、妻のために何度もモデルに立った。普通の芸術家の伴侶のようにだ。