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長津湖戦闘で戦死した韓国兵遺骨が72年ぶりに家族のもとへ

長津湖戦闘で戦死した韓国兵遺骨が72年ぶりに家族のもとへ

Posted July. 16, 2022 09:18,   

Updated July. 16, 2022 09:18

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韓国戦争中の長津湖(チャンジンホ)戦闘で戦死した韓国兵の遺骨が、北朝鮮から米国を経て72年ぶりに家族のもとに戻る。今回の身元確認で、2000年4月の遺骨発掘の開始から身元が確認された韓国戦争戦死者は193人に増えた。

国防部遺骨発掘鑑識団(鑑識団)は15日、20年に米国防総省の戦争捕虜及び行方不明者確認局(DPAA)を経て国内に返された韓国戦争戦死者の身元が故パク・ジンホ一等兵であることが確認されたと明らかにした。パク一等兵の遺骨は北朝鮮地域で発掘された後、1990~94年の間にDPAAに引き渡された。鑑識団とDPAAは共同で身元確認を行ったが、身元確認前に戦死者と推定し、国内に返還した。故人の遺骨は、北朝鮮とDPAAハワイ支部を経る1万5470キロに達する長い旅程の末、故郷の地を踏むことになった。

故人の身元確認は、故人の弟が2020年に地元の畜産農業協同組合で業務に従事していた時、彼が戦死者遺族であることを知った職員の勧めで遺伝子(DNA)採取を申請して実現した。鑑識団は、京畿道東豆川市(キョンギド・トンドゥチョンシ)の保健所で採取した遺族のDNAを分析して家族関係がある可能性が高い遺骨を特定し、先月兄弟関係があることを確認した。

1928年に出生した故人は、韓国戦争の勃発後、50年8月16日に釜山(プサン)で入隊した。日本の徴用経験により日本語と英語が可能だった故人は、日本に渡って軍事教育を受けた後、米第7師団第31連隊「KATUSA(カトゥサ)」(米軍に勤務する韓国軍)に配属された。

米第7師団所属で仁川(インチョン)上陸作戦に参戦した後、釜山港を経て北朝鮮の利原(イウォン)港に上陸する元山(ウォンサン)上陸作戦に成功した。その後、咸鏡南道(ハムギョンナムド)長津邑で起こった長津湖戦闘(1950年11月27日~12月11日)で戦死した。北進した米軍と中国共産軍が衝突した長津湖戦闘は、韓国戦争で最も激しい戦闘の一つとされる。

故人の弟のパク・ジンウさんは、遺骨を発見したという知らせを受け、「家のために犠牲になった兄が北朝鮮で亡くなったということは衝撃だが、兄を見つけることができて感慨無量だ。兄を待った両親の隣に一日も早く埋葬し、無念を晴らしてあげたい」と話した。国防部と国家報勲処は19日午後3時、東豆川市国民体育センターで「護国英雄帰還式」を行う。


申圭鎭 newjin@donga.com