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完全な愛

Posted May. 02, 2022 08:50,   

Updated May. 02, 2022 08:50

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「愛を上げた分だけ期待は大きくなる。『私がこれだけ愛を与えたから、少なくともこれくらいは愛されるだろう』と期待するものだ。しかし、相手はいつも期待に及ばない愛を与える。不公正な取引だ。不都合で不義なことだ それで関係破綻のすべての責任を相手に負わせる」(キム・ドンギュ「哲学者の愛し方」)

微生物と格闘してから、いつのまにか30年が過ぎた。これまで実験と文献を通じて、直接と間接的にいろいろな微生物に会ってきた。一度は沖合いのきれいな水にいる微生物の群れの生き方を見て、「小さな微」から「美しい美」を感じたりもした。水が澄むほど、有機物の含量は少ない。微生物の立場では、餌不足で生活難に陥りがちだ。ところが、その海洋微生物は、このような環境条件でよく生きていく。さらに必須アミノ酸の一部を作ることができない欠点を持ったままだ。彼らはそれぞれ自分が作れるアミノ酸を少し多めに作り、体(細胞)の外に少し分泌してお互いの不足を補う。実際、取るに足らない存在と言われている微生物の世界でも、この程度の助け合いは茶飯事だ。

助け合いとは違って、プレゼントはお返しを期待せずに与えるものだ。残念なことに、現実ではこのような贈り物がますます希少になっているのに、哲学者のキム・ドンギュはこれを愛が蒸発している証だと診断する。そして私は苦笑する。愛は正義ではないので、公平な取引を成し遂げることはできない。普通、誰かに対する愛の程度は、与えた分だけ受けようとする期待値と反比例する。愛の天秤が片方に傾くしかない理由だ。親の子に対する愛情ほどに子は親を愛さないという昔の言葉もあるように、親の愛、特に母性愛は最大の傾きを作る。激動の一世紀をうまく生き抜いたあるおばあさんの最後の一言が思い浮かぶ。「君たちのおかげで本当によく生きた!」。「君のおかげで」という言葉が胸から自然と湧き出る時、完全な愛ができるのではないか。