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ハンティントンビーチに行けば、お前がいるだろうか

ハンティントンビーチに行けば、お前がいるだろうか

Posted March. 26, 2022 07:29,   

Updated March. 26, 2022 07:29

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詩集を受け取り、娘とこの作品を読んだ。「何の詩だと思う」と尋ねたところ、15歳の子どもは言った。「愛する人と別れたこと」。子どもはそう言葉を残し、詩集を置いて立ち上がり、私は残された言葉と共に座っていた。「別れた」というのは正確な表現であり、同時に少し間違った表現だ。この詩は、別れたが、また会いに行って書いた詩だからだ。

この詩を書いた李御寧(イ・オリョン)は、大きくたくましい山のようだった。講演会場にいくら多くの人が集まっても、眼光炯々として演説は途切れることがなかった。強くてすごい人だ。知性の場が思想の戦場なら、彼は断然、大将軍だった。だが、詩の領域では全く異なる顔を発見することになる。確かな知性の後方には、弱い内面がある。ヘーゲル、カントも恐れない李御寧は消え、崩壊し、後悔する人間が頭をもたげる。このような詩は、真正性を疑うことはできない。

李御寧は2022年春にこの世を去り、詩人の娘はちょうど10年前の春に先立った。10年間、会いたい思いを抱き続け、その思いは詩人の最後の詩集、最後の詩になった。娘が暮らしたハンティントンビーチに行っても、父親は何も見ることができず、聞くこともできなかっただろう。今は直接子どもを探しに行った。「お前が行った道を今私が行く」が最後の詩集の序文だ。どうか、安らかにお眠りください。