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ギリシャ人の分裂

Posted October. 05, 2021 08:23,   

Updated October. 05, 2021 08:23

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アレクサンドロス大王が突然死亡した後、部下たちは王宮でまとめられた1つの文書を発見した。アレクサンドロスが準備していた次の遠征計画書だった。この征服者の刃は、シチリア、イタリア半島、そして北アフリカの地中海沿岸都市とイベリア半島にまで向けられていた。西方に向かい、地中海を席巻するという構想だった。

アレクサンドロスが10年長く生きたなら、どうなっただろうか。ローマ帝国は存在しなかったと言う人もいる。当時ローマはイタリア中部を席巻し、南部のいくつかの民族、地域と戦闘を行っていた。アレクサンドロスの軍隊が侵攻してきたなら、耐えられなかったかもしれない。

その答えは永遠に分からないが、当時イタリアにはすでにマケドニアとギリシャ人が進入していた。シチリアと南部イタリアにはギリシャ人が作った植民都市が定着していた。そのほかにもローマ人、エトルリア人、サムニウム人、ケルト人が乱立し、イタリアは分裂していた。

ギリシャ人にとってはいい機会だった。アレクサンドロス大王の母親オリンピアスの弟のアレクサンドロス1世、アレクサンドロス大王のいとこのピュロスが、ギリシャ人のイタリア征服を果たすためにイタリアに侵攻した。

だが、2人とも征服に失敗する。決定的な理由はギリシャ人の分裂だった。ギリシャ人連合のような試みはあったが、都市国家の意識がとても強かった人々は、一度も1つの国家と考えることができなかったようだ。考えて見れば、勝利はしたものの、ギリシャ-ペルシャ戦争の時も、マケドニアがギリシャを征服した時も、ギリシャは一度もまとまったことがない。故郷を離れてイタリアまで来て手を握ることはなおさらなかった。この時を最後に、ギリシャはイタリア征服の機会、欧州の強大国になる機会を永遠に失う。

歴史学者