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楊貴妃の果物

Posted August. 20, 2021 08:39,   

Updated August. 20, 2021 08:39

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絹を積み重ねたようなすばらしい景観の驪山の頂上にある華清宮。毎年冬から春まで唐の玄宗は楊貴妃を連れて長安を離れ、この別宮で休養を楽しんだ。四川出身の楊貴妃のために皇室は数千里離れた所からライチを運んだ。鮮度を保つために急いで馬が駆けつけると、何重もの宮門が順に開かれ、故郷の果物が到着したことを知った楊貴妃の口元に笑みが浮かぶ。一刻を争う重大事を伝える早馬ではなく、楊貴妃の歓心を買うライチが到着したとは、誰も知らなかったことだろう。

およそ100年が流れ、詩人は、廃虚と化した華清宮を想像の中で蘇らせる。玄宗の無節制な逸脱が安史の乱を招き、王朝衰亡のきっかけになった悔恨の歴史だ。3首の連作詩の第1首は、落ち着いていて婉曲な雰囲気だ。しかし「曲が峰から峰へ鳴りやまず、楊貴妃の舞で中原が崩れる」(第2首)とか、「禄山が舞えば華清宮に拍手は乱れ飛び、笑い声が峰に吹く風に乗って下りてくる」(第3首)など、詩人の声は次第に荒くなる。熟す時期から見て、ライチを華清宮に運んだということには反論があるが、歴史的真実に関係なく文学は楊貴妃の贅沢と享楽に注目したので、「楊貴妃の果物」は常に批判の的になった。蘇東坡も、「宮中の美女よ、ライチを食べて明るく笑っただろうが、巻き起こす土埃とまかれた鮮血は長く残るだろう」という詩句を残した。

成均館(ソンギュングァン)大学名誉教授