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「他人は地獄じゃない」

Posted August. 11, 2021 08:27,   

Updated August. 11, 2021 08:27

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なんとかして世の中を明るく見ようとする作家がいる。ひいては他の作家の言葉を誤読してでも明るい方向に関心を向けようとする作家がいる。2021年に亡くなったポーランドの詩人、アダム・ザガエフスキがそうだった。

ザガエフスキは、ジャン・ポール・サルトルの言葉を誤読する。具体的にサルトルの戯曲『出口なし』の中の「地獄とは、他人だ」という台詞を誤読する。『出口なし』のあらすじはこうだ。1人の男と2人の女が登場する。すでに死んだ人々だ。地獄に行けば、生前に犯した罪に相応の拷問が待っていると考えたが、部屋が1つあるだけだ。条件は、彼らがその部屋に永遠に一緒にいなければならないということだ。プライベートの空間もなく、互いの過去と考えは晒される。彼らは、互いを凝視する視線に互いの捕虜となる。「地獄とは、他人だ」という言葉がここで出てくる。サルトルによると、この言葉はこれ以上でも以下でもなく、「人間関係が歪められ壊れれば、他人は地獄」に値するという意味だ。人間に対する嫌悪的な発言では決してない。

しかし、ザガエフスキは「他人の美しさに」という詩で、サルトルの言葉の逆を言う。「他人の美しさにだけ/他人の音楽と詩にだけ/慰めがある/孤独がアヘンのような味としても/他人だけが私たちを救う/他人は地獄でない」。詩人は「地獄とは、他人だ」という言葉が出た前後の文脈をバッサリ切って、サルトルの言葉をひっくり返してしまう。むろん詩人の立場で見れば、それほど誤っているわけではない。世間に疲れた人々が、他人が作った音楽を聞き詩を読んで時折、いつもそうではないとしても慰めを受けることは事実だからだ。「地獄とは、他人だ」という言葉が意味するところを知らなかったはずはないが、詩人は誤読しても明るい方向に目を向けることが本来の意味よりも重要だと考えたのだ。芸術は時に、誤読、それもとても意図的な誤読の産物だ。

文学評論家・全北大碩座教授