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温かい理論

Posted July. 28, 2021 09:00,   

Updated July. 28, 2021 09:00

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私たちが生きている時代が暗鬱で絶望的なので、一層光を放つ考えがある。陽明学の始祖である明の時代の哲学者、王守仁。彼の考えがそうだ。特に、人間の本性に対する彼の絶対的な信頼は眩いほどだ。

王守仁は、人間に関する話から始める。それによると、私たちが水に落ちた子どもを見ると、「恐れて憂え、痛ましく思う心」を持つようになるのは、子どもと一体になるからだ。胎生的である共感能力を称する言葉だ。彼は、自身の考えをもう少し押し進める。「鳥が悲しげに鳴き、獣が死地に引きずられ、ぶるぶる震えるのを見る時」私たちの中に堪えがたい心が生じるのは、私たちが鳥や獣と一体だからだ。そうかもしれない。彼らも私たちのように、私たちも彼らのように動物なのだから。

これが終わりではない。王守仁は、草や木が切られたのを見ると、「可哀そうに思い助けたい心」が生まれると言い、その時私たちは草や木と一体になると言う。王守仁の話を聞くと、本当に私たちの中にそのような憐憫の情があるようだ。王守仁の思惟は、無生物に向かう時に最高潮に達する。瓦や石が割れたのを見ると、私たちの中に「惜しむ心」が生じるが、その時、私たちは瓦や石と一体になる。なので、世の中に存在する、死んでいき、切られ、割れた全てのものが、私たちと一体になるのだ。人間は誰でも、本当に誰でも、本来はこのように善良な存在ということだ。

これよりも温かく楽天的で、世の中を抱く目はあるだろうか。西洋の華やかな歓待理論や他者理論も、私たちが人間だけでなく動物、鳥、木、さらには瓦や石とも一体という、ルネサンス時代に出てきた東洋の理論の前では浅薄になる。誇張され過剰な思惟のようだが、人間中心に生き、壊れた生態系を考えれば、誇張や過剰ではなく一種の処方のように感じられる。

文学評論家・全北(チョンブク)大碩座教授