Go to contents

数十人分の役割を果たす兵士

Posted July. 20, 2021 08:25,   

Updated July. 20, 2021 08:25

한국어

「三国志演義」で趙雲は一人で曹操の80万の大軍をかき乱す。これは虚構だが、現実の戦闘でも驚くべき勇気を見せた事例がある。張遼は、決死隊800人を率いて孫権の10万の大軍の中に飛び込み、孫権のいる中心部まで迫った。曹操が危機に追い込まれた時、典韋は部下数人と城門を守ったが、一人で数十人を殺し、出血で気力が尽き、死ぬ瞬間まで戦った。

一人で数十人の役割を果たす勇士が現実に存在する。しかし極めて稀だ。昔の記録は平民出身の勇士、地位の低い兵士の功労を記録するには非常に書き渋られていたため、このような勇士は私たちが知るよりは多かっただろうが、それでも兵士全体から見ると非常に少数だった。

軍糧を輸送する兵士は、戦闘兵よりずっと苦労する。彼らも個人差によって担げる食糧の量が異なる。力持ちだからといって、何人前も担ぐことができただろうか。険しい山や長距離運送ではこのような差がさらに縮まる。

先端兵器によって、現代兵士の火力と殺傷力は大幅に増えた。普通の兵士が、典韋や張遼の武力に追いつくことは、基本的な訓練だけでも十分だ。現代のガトリング砲は、1分当たり2000発は軽く発射できる。食糧20キロを担いで坂道に登れない兵士も、5トンのトラックを運転して一日中、山谷を行き来できる。

私たちがよく知っているはずの話の中で、変に混同する話がある。現代社会で個人の価値と人権は大きく高まった。このことは、意識の高揚、教育、価値観の変化、一人一人が自覚した結果だと考える。しかしそれは違う。技術と資本が、人間一人一人の力量を大きく高めてくれたからだ。機械と資本が物神化、人間性の抹殺を招くと批判する人は、コインの半分だけを見ているに過ぎない。そうでなければ机の前でしか論じない知識人の無知だ。

歴史学者