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願いを込めた自画像

Posted May. 20, 2021 07:27,   

Updated May. 20, 2021 07:27

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19世紀フランス写実主義美術の先駆者ギュスターヴ・クールベが描いたこの有名な絵のタイトルは、「こんにちは(アンニョンハセヨ)、クールベさん」だ。後援者のために描いた絵だが、画家が自分の安否を尋ねているのだ。彼はなぜこのようなタイトルをつけたのか。

貧しい農民や労働者の悲惨な姿をたびたび描いたクールベは、絵が売れず経済的に苦しかった。34歳になった1853年、幸運にも裕福な後援者に会うことになるが、彼がまさに アルフレッド・ブリュイヤスだ。翌年5月、クールベはブリュイヤスの招待で南フランスのモンペリエに行き、彼のために数点の傑作を誕生させたが、この絵もその一つだ。みすぼらしい登山服姿で丘を登る男は画家自身だ。画材ケースを背負って長い棒をついた彼は、自由な放浪者のように描かれている。洗練された緑のジャケットを着た男はブリュイヤスだ。彼は下僕と犬の補佐を受けながら、道で会った画家に丁重に挨拶をしている。下僕も、頭を下げて尊敬の念を示す一方、クールベはまっすぐ伸びたあごひげを突きつけながら、傲慢に頭をもたげている。

この絵が1855年にパリ万博で展示されたとき、人々はショックを受けた。金持ちの後援者が貧しい芸術家に、帽子を脱いで礼を尽くしてあいさつすることが納得できなかったからだ。作品のタイトルも批評家たちが嘲笑いの意味でつけたもので、元々は「出会い」だった。クールベは、金持ちが芸術家を尊敬し、後援するのは当然のことだと信じていた。世の中の物差しは人を金持ちと貧者に分けるが、彼は天才性を持つ者とそうでない者に区分した。それだけ芸術家としての誇りが強かった。

「アンニョンハダ(安寧だ)」とは、何の心配事も無く平安であるという意味だ。貧しい芸術家はなかなか楽ではない。しかも、彼は革命激動期のパリで活動した政治的芸術家ではなかったか。もしかしたら、絵は楽な世の中で、金持ちの後援や民衆から尊敬を受け、創作に夢中になりたい、画家自身の願いを込めたものかもしれない。