14歳の少女が学校に行った初日だった。先生を除けば、誰も少女に話しかけなかった。昼食の時間だった。少女は一人で弁当を食べて、教室の真ん中を歩いていった。ストーブのそばにあるバケツの水を飲むためだった。柄杓で水をすくって飲んだ後、7歳に満たない子供が教室に入ってくると言った。「私も柄杓で、水を汲んでくれる?」。水を汲んであげると、子供は慎重に受け取って飲み、こう言った。「ありがとう」。その一言で、少女は声を詰まらせた。自分に話しかけるのは、その子が初めてだった。少女は涙をこらえようと、懸命に目をしばたたいた。
少女は中国人の母親と白人の父親の間に生まれた混血児だった。3年前にこの世を去った彼女の母親も、韓国人の父親と中国人の母親の間に生まれた混血児だった。その他の人々はみな白人だった。彼らは自分たちの反対にもかかわらず、有色の少女が学校に来ると、子どもたちを学校に行かせないことで応酬した。学校は白人のためのものでなければならなかった。「あの子、同じ言葉だね」。英語という言葉も自分たちだけのものじゃないといけなかった。白人たちは、インディアンから強奪した土地に住みながらも、いつもそのように主人に成り済ました。大人もそうだし、子供もそうだった。
在米韓国人作家リンダ・スー・パークの「草原の蓮華」に出てくる話だ。小説は、米国のある小都市で少女が経験する人種差別の苦痛を痛烈に描いている。作家は、その小説の人種差別的な出来事をほとんど同じように経験した。韓国人移民者がいなかった19世紀末が小説の背景だが、作家が経験した人種差別の経験が、あちこちに投影されている理由だ。19世紀を超えて20世紀半ばになって、また21世紀になっても、米国は依然として人種差別の国だった。それで、作家は自分の傷を振り返りながら、そこにフィクションを加えた。誰かには慰めになり、誰かには「考えの滋養分」になることを願いながら、傷を小説の質料にしたのだ。傷跡の畑に創作の花が咲いたのだ。
文学評論家・全北(チョンブク)大学碩座教授