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絶望の中に咲いた永遠の世界

Posted July. 16, 2020 09:14,   

Updated July. 16, 2020 09:14

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髪の抜けた白髪の老人が火のそばに座って泣いている。どれほど苦しく辛いのか、うつむいた顔を隠した両手から涙が溢れ出るようだった。青の作業服と古びた靴は、彼が担う疲れた暮らしの重さを代弁するようだ。

 

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが死亡する3ヵ月前に完成した油絵だ。当時、フランス南部のサン・レミの精神病院に入院していたゴッホは、彼の人生で最も苦しい時期を送っていた。頻繁な発作と精神錯乱でよく意識を失い、健康状態は最悪だった。その頃、弟のテオにこのような手紙を書いた。「仕事が全くうまくいかない。私はどれほどさらに多くの悲しみと不幸を体験しなければならないのだろうか。今はどこへ行くべきか全く分からない。苦しい時も、記憶をたどって小さな絵を数点描いた」

ゴッホは、体と心の状態が最悪の時も、筆は放さなかった。病院の中では、自然を思う存分観察することも、モデルを得ることもできなかったゴッホは過去の絵を土台に作業した。この絵も、1882年にオランダ・ハーグで制作された鉛筆と石版画の作品を油絵で再び描いたものだ。純粋に記憶だけを頼りに描いたのに、構図や人物の表現がほぼ一致する。モデルは兵士だったアドリアヌス・ザイデルラントラという男で、当時、高齢者施設で寂しい老年を送っていた。「画家は作品に自身の考えを盛り込むよう努めなければならない」と言ったゴッホ。ならば8年ぶりに再び描いたこの絵を通じてどのような考えを伝えようとしたのだろうか。

絵のタイトルが「永遠の門」でなかったなら、完全な絶望を表現したと解釈されただろう。ゴッホは、深い悲しみと煩悩に陥った老人の姿を通じて、苦痛と死を越えた永遠の世界に対する信頼を描きたかったようだ。生涯にわたって貧困と孤独、苦痛と狂気の中で暮らした自身の人生の終わりも、もしかすると死ではなく神と永遠の世界だと自らを慰めたのではないだろうか。