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柳賢振はどうやって「怪物」になったのか

柳賢振はどうやって「怪物」になったのか

Posted May. 31, 2019 09:54,   

Updated May. 31, 2019 09:54

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ロサンゼルス・ドジャースの柳賢振(リュ・ヒョンジン)の成績表は「A+」だらけだ。防御率はメジャーリーグで唯一1点台(1.65)だ。また9イニング当りの四球(0.55)も1以下を記録している唯一の投手だ。四球に対する奪三振率(15.5)も唯一「10」を超えている。イニング当りの投球数も1位で13.73球に過ぎない。今季に7勝を挙げ、ナショナルリーグ1位だ。

昨年末、国内での野球表彰式で「2019シーズンの目標は20勝」と言った時、表彰に対する外交辞令だと思った。ところが空鉄砲ではなかったのだ。今のペースなら、21勝も可能だ。初のサイ・ヤング賞受賞も可能性が高い。柳賢振には確信が持てる根拠があった。それは何だろうか。

柳賢振は、多くを生まれ持った。身長190センチ、体重118キロ(プロフィール情報)と堂々たる体格を持っている。体が大きくても硬いのでは意味がないが、彼は柔軟性まで備えている。大きい体を柔らかく、かつ細かくコントロールした。手の感覚も優れ、新しい球種をすぐ覚えた。野球知能も高く、打者との駆け引きでも圧倒的だった。スポーツにおいて選手をA級とB級とに分ける一番重要な基準は頭脳だ。

打者たちには勝てる術がなかった。2006年に高卒新人で韓国プロ野球にデビューし、同年トリプル・クラウン(最多勝、防御率、奪三振で1位)を達成した。プロ野球史上初めて新人王とMVPを同時に席捲した。メジャーリーグに進出した2013年と2014年に連続で14勝を挙げた。全てが、いとも簡単に見える、そういう天才だった。我々は、彼を褒め称えるだけで、彼から学ぶべきことはなかった。「神は不公平」というのが、唯一のメッセージだった。

その柳賢振が一瞬にしてすべてを失った。肩が問題を起こしたと思いきや、2015年に手術を受けた。肩の手術を受けた投手が、以前の技量を取り戻す確率は75に過ぎなかった。ほぼ2年を無駄に過ごした。その間、肘まで問題を起こし、下半身の力を上半身に伝える太ももの内転筋まで故障した。当然球威は衰えたし、一度落ちた球威は回復しなかった。

このくらいの負傷から立ち直った選手は珍しい。ところが、柳賢振は復活を超えて、さらに強い投手に進化した。なにがあったのか。色々なことが変わった。スピードは落ちたが、制球力はこれまで以上に研ぎ澄まされた。ストライクゾーンぎりぎりのコースを執拗に攻めた。打者は打つとゴロになり、打たないとストライクになった。ヒューストン・アストロズのダラス・カイケルの投球映像を見ながら学び、新武器としてカット・ファストボールも身に着けた。お陰で打者を力づくではなく、様々な武器(ツーシーム、チェンジアップ、カーブ、カット・ファストボール)で紛らわせながら、より大きな効果を得た。

柳賢振は負傷もコントロールした。先月のセントルイス・カージナルス戦では内転筋の動きに違和感を覚えると、自ら判断してマウンドを降りた。先月5月に同じ部位を負傷して3ヵ月間休んだ経験がある。当時、体の送るシグナルを無視して投げ続けて故障を招いた。その経験から学んだのだ。2歩前進するために1歩下がる方を選んだのだ。

ボールを投げることから体の管理に至るまで、彼は全てをリセットしたのだ。柳賢振は負傷(挫折)を通じて多くを失ったが、それを克服する過程でさらに成長した。過程を整理しているうちに、彼の最大の強みは、体格でも、柔軟性でも、感覚でも、野球知能でもなく、状況を再定義する能力であることに気づいた。挫折を、単に試練としてでなく、さらなる高みを目指すための過程と位置づけて耐え抜いたのだ。柳賢振に挫折がなかったら、彼は14勝投手に止まっていただろう。我々の人生も苦難と挫折の連続だ。くじけ折れないければ禍が福となる「転禍爲福」で、失敗の原因を成功の原因とする「因敗為成」なのだ。柳賢振は、私たちに向けてもメッセージを発信している。


李恩澤 nabi@donga.com