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ショートトラック・ロシア代表の安賢洙、平昌参加が頓挫か ロシア通信報道

ショートトラック・ロシア代表の安賢洙、平昌参加が頓挫か ロシア通信報道

Posted January. 24, 2018 08:12,   

Updated January. 24, 2018 08:30

ショートトラック選手としての安賢洙 ( アンヒョンス=ロシア名・ビクトル・アン) の波乱万丈の人生は、まだ続きそうだ。冬季五輪最多メダルを目指す安賢洙の五輪参加が認められない可能性が出てきた。ロシアの国営通信社スプートニクはなど海外メディアは23日(韓国時間)、「ボクトル・アンは、国際オリンピック委員会(IOC)から平昌五輪への個人資格での出場が認められなかったロシア人選手111人に含まれた」と報じた。しかし、同通信は「ビクトル・アンの五輪出場権剥奪は最終確定ではない」とし、「最終的なリストは28日に発表される」と伝えた。

ロシアの地元メディアによると、安賢洙の五輪出場が危ぶまれている理由として、「マクラーレン報告書」が取り沙汰されている。同報告書に安賢洙の名前が挙がっているという。同報告書は2014年ソチ五輪でロシアの国ぐるみのドーピング違反の実態を告発した。2014年12月に報告書を通じて暴露したあと、世界反ドーピング機関(WADA)の調査委員会で調査を実施し、IOCは報告書の信憑性を認め、ロシアを冬季五輪参加国から除外した。ただ、個人での参加を希望するロシア選手はドーピング問題で潔白を証明すれば出場は可能だ。先にロシア・オリンピック委員会は安賢洙が含まれた平昌五輪参加を希望する500選手のリストをIOCに提出した。

国籍は変えたものの、母国での五輪で「有終の美」を飾ろうとした安賢洙の計画に狂いが生じた。スポーツ仲裁裁判所(CAS)に控訴して救済される道も残っているが、五輪開催までに残された時間が少なすぎるため現実的には不可能とみられる。

ジュニア時代から数々の国際大会を制覇してきた安賢洙は2002年ソルトレークシティ五輪に出場し、1000メートル決勝に進出し、金東聖(キム・ドンソン)の後を継ぐ韓国ショートトラックの希望の星として期待を集めた。期待に応えて、4年後に開催されたトリノ五輪では1000メートル、1500メートル、5000メートルリレーで金メダルを獲得し、3冠を達成した。500メートルでも銅メダルを獲得するなど五輪の全種目で表彰台に立ち、「ショートトラック皇帝」に上り詰めた。5000メートルリレーで安賢洙が演じた「大逆転劇」は今も膾炙される。

ところが、2008年に膝を負傷し選手生活に危機が訪れた。3度にわたる手術を受けリハビリを行ったが2009年4月の代表選考会で脱落し、2010年のバンクーバー五輪への出場が頓挫した。さらには、所属チームだった城南(ソンナム)市庁まで解体され、「事実上終わった」とも言われた。

それでも安賢洙は諦めなかった。韓国代表の安賢洙ではなくロシア代表のビクトル・アンに。2011年にロシアに帰化してからはロシア政府の全幅的な支援を受けて全盛期の実力を取り戻した。2014年のソチ五輪で500メートル、1000メートル、5000メートルリレーで金メダルを、500メートルで銅メダルを獲得し、華麗に復活した。金メダル6個、銅メダル2個で米国のアポロ・アントン・オーノ(金2個、銀2個、銅4個)とともに冬季五輪で最も多くのメダルを獲得し、「伝説」になった。

「不屈」の神話を作った安賢洙だが、今回の騒ぎで不名誉退陣の危機を迎えることになった。マクラーレン報告書に安賢洙の名前が含まれていれば、ソチ五輪で薬物を使用した疑惑が持ち上がる可能性がある。疑惑が事実として判明すれば、安賢洙は獲得したメダルの全てを剥奪されかねない。IOCは、まだ安賢洙に関する情報を公開していない。このため、一方では安賢洙がドーピングをした証拠が出てきたというよりは疑いが持たれる対象に含まれただとう、との見方が出ている。



金培中 wanted@donga.com