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大惨事の教訓、日本は忘れていない

Posted July. 02, 2015 07:13,   

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先月30日、乗客800人を乗せた東京発大阪行きの新幹線の車内で71才の男性が焼身自殺を図り、火災が発生したが、192人の死者を出した2003年の大邱(テグ)地下鉄火災のような大惨事にはならなかった。火をつけた男性と52才の女性が死亡し、26人が重軽傷を負ったが、乗客は無事だった。火災も、事件があった車両の前方部でおさまった。トンネルに進入する際の気圧差を小さく抑えるために密閉構造で設計された新幹線内の火災としては、最小限の被害だった。事件翌日の1日、日本政府とメディアは、過去の国内外の惨事で得た教訓を徹底的に行動に移したお陰だと胸をなで下ろした。

共同通信などによると、日本政府は1972年、福井県敦賀市の北陸トンネル(1万3870メートル)を走行中の列車で食堂車両の暖房配線のショートで火災が発生し、30人が死亡、714人が負傷した大惨事を機に、鉄道車両の防火対策を設計段階から義務づけた。新幹線や地下鉄の天井、シート、床はもとより車両間のドアも火のつきにくい素材を使うようにした。乗客が避難する時間を稼ぐためだ。

日本国土交通省が新幹線や地下鉄など避難が難しい列車内の放火事件を本格的に念頭に置くようになったきっかけは、大邱地下鉄惨事だった。当時、国立消防研究センターの調査チームを大邱に派遣し、事件の経緯と被害を詳細に調査した日本政府は、翌年の2004年12月、強化された耐火基準を発表した。有毒ガスが別の車両に広がることを防ぐために、車両と車両の間のドアが自動でしまる構造にし、すべての車両間と機関士室に消火器を備えつけた。エアコンの通風口も高熱に溶けない素材にした。

日本政府はこれとは別に、2001年に米国で9・11テロが起こると、すべての車両の出入り口付近に防犯カメラを設置し、各車両の通路に非常ベルを設置した。最近では、不審物かどうかすぐに判断できるよう車両に置かれたゴミ袋を透明な材質に変えた。

今回、異常を察知した乗客が2号車の非常ベルを押し、機関士が直ちに車両を止め、機関士室の後ろのドアから1号車に入り、消火器で早期に鎮火したことも、このような備えがあったからだった。日本政府は今回の事件を機に、さらに新幹線に排気設備を装着することを検討している。

一方、火をつけた男性は、普段から周囲に年金が少ないと不満をもらし、「自殺する」と言っていたという。



bae2150@donga.com