
大どんでん返しは起こらなかった。「名人列伝」と呼ばれるマスターズの79回目の舞台は、彼から始まり、彼へと帰結した。その主役は満21歳7ヵ月の「新星」ジョーダン・スピース(米国)だ。スピースは1997年最年少(21歳3ヵ月)チャンピオンを獲得したタイガー・ウッズの後を次ぎ、史上2番目の若さでグリーンジャケットを着た。マスターズ優勝後、ミレニアム時代を制したウッズ王朝が衰退し、スピースがその後を受け継いだという大絶賛が早くも寄せられている。ニック・ファルド(イングランド)は「米国はスーパースターを求めていた。その日がやってきた」と評価した。
スピースは13日、米ジョージア州オーガスタ・ナショナルGC(パー72)で閉幕した、シーズン初のメジャー大会のマスターズで、2アンダー70をマークし、通算18アンダー270で優勝を獲得した。
●97年のウッズvs15年のスピース
同日スピースは15番ホール(パー5)でバーディーを獲得し、79年のマスターズ史上初めて通算19アンダーに到達した。ウッズが1997年に立てた18アンダーの記録を更新している。しかし、スピースは18番ホール(パー4)で、1.5メートルのパーパットを外してしまった。勝利の女神は、不振のウッズのプライドだけは守り、新しいヒーローに一つの課題を残した。
ウッズは1997年、大会史上最多の12打差をつけて優勝を獲得した。スピースは2013年USオープンチャンピオンであるジャスティン・ローズ(イングランド)と、マスターズで3回も優勝を果たしたベテラン、フィル・ミケルソン(米国)の追撃を突き放した。大先輩たちの猛烈な追い上げにも、スピースは全く動じることはなかった。昨年首位タイからスタートしたものの、準優勝に止まった経験のあるスピースは「失敗の経験を通じて、忍耐を学んだ」と述べる。
スピースはウッズも経験したことのないワイヤー・トゥー・ワイヤー(Wire to wire=第1〜第4ラウンドで首位独走)での優勝を果たし、1976年のレイモンド・フロイド以降39年ぶりに、アーノルド・パーマー(1960年)やジャック・ニクラス(1982年)などの巨匠と肩を並べることになった。練習の時、自分のスマートフォンすら見ないというスピースは、試合が始まるとウッズのような高度の集中力を発揮する。しかし、フィールドの外では人懐っこく優しい性格で、好評を得ている。世界ゴルフ殿堂の会員であるコラムニスト、ダン・ジェンキンスは、「スピースはベン・ホーガンの強い意志と、バイロン・ネルソンの穏やかな性格、ベン・クレンショーの柔軟なパッティング・ストロークを兼ね備えている」と描写した。
●家族は我が力の源
1997年のウッズのマスターズ優勝は、人種差別の激しかった米国南部で開かれるマスターズ史上初の黒人チャンピオンということで、歴史的にも意味があった。米国の平凡な中間層家庭で生まれ育ったスピースは、家族愛が強いことでも知られている。三兄妹の長男であるスピースの妹アリー(14)は、原因不明の先天性神経異常による自閉症で、現在知的水準が5歳程度に止まっているという。スピースは「アリーの兄なので、毎日謙虚な姿勢で生きることができる。苦しむ妹を見ると、人生がどれほど熾烈なものであるか思い知らされる」と話す。スピースは大会に参加するたびに、体が不自由で応援に来られないアリーにお土産を買ってあげるという。今回は大きめの兄のグリーンジャケットがお土産になったかも知れない。スピースは慈善団体を設立して、軍人家族・障害児支援活動も積極的に展開している。スピースの弟は、名門ブラウン大学の野球選手だ。
一方のウッズは同日1打が及ばず、17位タイ(5アンダー)に終わった。ウッズは9番ホールのセカンドショットで右側の手首に痛みを訴え、負傷再発が懸念されている。
キャリア・グランドスラムを狙っていた世界ランキング1位のローリー・マキロイ(北アイルランド)は今大会で初めてノーボギーの6バーディーを記録したが、大きく出遅れたため、4位で試合を終えた。韓国(系)選手の中ではケビン・ナの成績が、来年の出場権を獲得できる12位タイと、最も高かった。
kjs0123@donga.com






