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[オピニオン]記者の反省

Posted May. 23, 2014 08:51,   

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旅客船セウォル号惨事によって明るみに出た韓国社会の素顔の中には、メディアもある。事故初期、一部の地上波放送は、真っ先に、「生徒全員救助」という字幕を流した。チャンネルを問わず、嗚咽する遺族の姿が、ありのまま流された。「海洋警察が民間ダイバーの救助を食い止めている」というMBNのホン・ガへのインタビューやダイビングベルの投入を呼びかけたJTBCの報道は、誤報のピークだった。メディアを貶める「キレギ(記者とゴミとの合成語)という新造語まで登場するほどだった。

◆ニュースは、迅速性や正確性が共に重要な価値だ。しかし、災害などの緊急状況では、事実を確認する時間的余裕などない。旅客船セウォル号事故の特殊性やソーシャルネットワークサービス(SNS)も、誤報量産に影響を及ぼした。三豊(サンプン)デパートの崩壊や大邱(テグ)地下鉄火災事故のときは、現場での取材が可能だったが、海上災害事故のセウォル号には、接近することすらできなかった。一方、セウォル号の乗客らは、SNSを通じて、最後の瞬間を外部に伝えることができ、それが誤報をさらに目立たせた。

◆記者らが悪口を言われるのは、生存者や遺族への無礼な取材態度のためが大きいようだ。JTBCの記者は、救助された生徒に、「友達が死んだことを知っているか」と尋ね、アンカーが謝罪した。彭木(ペンモク)港と珍島(チンド)室内体育館は、取材車両で遮られ、遺族の出入りすら難しく、遺族らの慟哭が始まると、記者らはカメラを突きつけ、フラッシュを焚いた。彼らの「取材本能」は、普段なら理解されたかも知れないが、敏感な災害状況ではタブーとなっている。SPJ(The Society of Professional Journalists)の倫理憲章は、「ニュースの追跡は、不遜さへの免許状ではない」となっている。

◆「いたるところのセウォル号」を見つけ出し、防止するのは、メディアの重要な役割だ。記者らは自分の役割を果たせなかった。昨日は、言論労組連合会主催で、ジャーナリスト5623人がセウォル号を巡る報道について反省し、メディアの使命を振り返る時局宣言を行った。メディアの間違った取材慣行も、改造対象に含まれるべきだろう。しかし、記者の資質や媒体の玉石を見分けることも、同様に、セウォル号以降の言論界の重要な課題となっている。

鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com